REPORT【報道】

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 見渡す限り瀟洒な建物が建ち並ぶ、世界有数の高級住宅地にして、高級リゾート。シャルル・ガルニエの手になるカジノの荘厳な構えの前には、美しい庭園と数え切れないほどの高級車が巧みなコントラストを生み出す。

 平時のこの街には、ゆったりと静かな時間が流れる。

 グランプリドライバーになって3年目の今年、小林可夢偉はこの街に腰を落ち着けた。

 どこまでも青い地中海と、明るい陽射しが降り注ぐ空。夜の帳が降りれば始まる煌びやかな別世界。

 グランプリの週末が近付けば、肉体管理を考えた驚くほどシンプルでボリュームの少ないメニューに徹する可夢偉だが、さすがにレースの直後にはひとときの贅沢も許される。ミシュランの星を保持する高名なフレンチレストランも、徒歩5分の距離にある。そして、魅惑のカジノも。

「結構それだけで生活できるくらい勝ってるんですよ、レストラン代を稼がないとあかんからね(笑)。こないだは結構痛いくらい負けたけど、昨日は勝ったから。なんやったら勝方法教えましょか? 僕、本書いても良いくらいやもん。これで豪邸建てたいなと思って。ここに1年くらい住んで、カジノで1軒建てて、本書いたろ思てますもん(笑)」

 この街の住人として迎える初めてのモナコ・グランプリを前に、可夢偉はそう言って笑った。自宅からスクーターで通えるグランプリという環境が、いつも以上にリラックスできる余裕を与えてくれるのかもしれない。「モナコは嫌いだ」と言いながらも、可夢偉の言葉の端々からは自信のようなものもうかがえる。

「なんやろねぇ、結局、レーシングじゃなくてショーじゃないですか、モナコって。それが僕はあんまり好きじゃないんですちね。僕らは純粋にレースをしに来てるんで、ショーをしに来てるんならパフォーマーでも雇ってくれれば良いしね(苦笑)。個人的にはレーシングサーキットでレースをしたいなっていう気がするんですよね」

 一般的には、モナコはドライバーの腕が問われるサーキット、そしてマシン性能に左右されがちな昨今のF1においては唯一と言って良いほど、ドライバーが”差”を生み出すことのできる究極のドライバーズサーキットだと言われている。

 しかし、そんな常識や既成概念は可夢偉には通用しない。可夢偉は自分の目で見て、自分の頭で考えたことしか相手にしない、そういう男だ。

「僕はあんまりそんな風には思わないんですよね……。自信があれば誰でも速く走れる、みたいな。基本的には勢いのあるヤツが上手くいくけど、そういうヤツはレースでは失敗することが多いし」

 そう言って何人かのドライバーの名前を挙げる。要は、思い切ってガードレールの寸前までステアリングを切り込んでいけば、一発のタイムだけなら出すこともできる。しかし、それを78周にわたって繰り返すには本当のドライビング能力が必要だということだ。

 ただし、ここは抜けない。

 実際に道路の真ん中に立ってみれば、その路面はテレビ映像で見るよりも格段に狭く、上下左右に曲がりくねっていることが分かる。

 それゆえに、どんなに遅いマシンでも、前に立たれれば抜くことは容易ではない。となれば、レースは思うようには進まない。

「レーシングじゃない」

 可夢偉がそう言うのは、そのせいだ。

 それでも可夢偉は、「去年よりも高い順位」というのをこのモナコGPの目標として掲げた。つまりは、自己最高位の5位以上ということだ。

 慢心はできないと自分に言い聞かせながらも、バルセロナで得た手応えが、可夢偉に自信を与えてくれていた。

「結構レベル高いと思いますけど、クルマが調子いい時にやるしかないかなって思うし。こんな低速なコースはこのクルマでは初めてやし、あんまり期待せずにニュートラルな気持ちで入っていったほうがいいと思ってるんですけどね。縁石越えのサーキットも初めてやし、走る前から『大丈夫です』なんて言うて、実際に走ったらダメやったりしたら、何言うてるんやっていう話になるでしょ?(苦笑)」

 そうは言いながらも、可夢偉は言葉の端々に自信をのぞかせる。

「去年は予選があんまり良くなかったんで、今年は予選で前に行って、真剣に前と戦えたら面白いかなって思ってます」

 それはバルセロナで演じて見せた戦い方。そして、バルセロナで果たしきれなかった戦い方。今回こそは、予選できちんと実力を発揮し、最高の結果を手に入れたい。それができれば、表彰台だって夢ではない。ここまで5戦で5人の勝者が生まれているシーズンなのだ。

「全レースで違う人が勝って、HRTまで勝てるようなシーズンやったら最高でしょ?(笑) 自分が勝てるとこが選べるんなら、鈴鹿かな。あ、モナコかもしれない。だって、モナコで勝ったら後が楽しいでしょ? パーティで遊べるもん。鈴鹿やったらパーティできないし、じゃんじゃん焼きするくらいしかできないから(苦笑)。でもまぁ、人生そんなに甘ないからね」

 週末に向けて、天気は下り坂の予報が出されている。ただでさえギャンブル性の強いこのモナコで、今年のレース週末はさらに複雑なものになりそうだった。

「ギャンブルはもう終わりましたよ、昨日で終わり。ここからはしっかりレースです」

 可夢偉はそう言って悪戯っぽく笑った。

 

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 週末が始まってから、土曜の午後はずっと雨の予報が動かなかった。

 しかしモナコの空模様は10分単位で移り変わる。実際に予選開始時刻の午後2時を迎えてみれば、空には雨の気配などほんのひと欠片もなかった。

「やっぱりモナコですね、面白くないわ!」

 予選を終えて、可夢偉は苦笑いした。

 Q3に進む自信はあったのに、新品タイヤを履いて最後のアタックに出てみたところで思うようにタイムが伸びなかった。雨が心配されていたのとは正反対に、予想以上に晴れ渡り、40度を超えた路面温度。それが原因だったのではないかと可夢偉は推察した。

 タイヤの内圧というのは走行し始めると熱膨張によって徐々に高まっていくものだが、この日は低い路面温度でも1周目の計測ラップからタイムが出やすいように、タイヤの内圧をやや高めに設定していたのだ。

「Q2の1回目のアタックは、中古のオプションタイヤにしては悪くなかったと思うんですけど、新品に換えた時にあまりタイムが上がらなくて。全体的にFP-3からQ3までのタイムの伸びしろが大きかったのに、周りに比べて僕らは小さかったですね。路面温度が高くなっていたんで、タイヤの内圧がちょっと高すぎたのかなぁと思ってるんですけど……」

 予選12位。前走車のペナルティで、決勝は11番グリッドからのスタートになった。

 期待していたのとは異なる結果だ。

「クルマとしてはそんなに悪くないと思っていたし、もうちょっと速いと思ってたんで、気持ちとしてはもうちょっと前に行きたかったけど、意外に行けなかったですね……。さすがに今回は5位とかは無理やったけど、それでも8〜9位くらいのタイムは出せたはずなんですけどね」

 実はこの日の予選は、バタバタとした雰囲気の中で慌ただしく進んでいた。

 Q1からスーパーソフトタイヤを投入したのは、それを余儀なくされてしまったからで、想定外のことだった。

 刻々と少なくなっていくセッションの残り時間。その中で、可夢偉のエンジニアたちはソフトタイヤのウォームアップには2〜3周が必要であることを忘れていた。コースインしてから2〜3周を走るためには、最低でも3分ないしは4分が必要なのだ。

「本当は新品のプライムで行けばいいんじゃないかって言ってたんですけど、(2回目の)アタックに入るのを待ちすぎたんです。そうしたら、プライムでは(セッションの制限時間内に)温まらなくなって、オプションで行くしかなくなって。中途半端な判断になってしまったなという感じですね。一番やってはいけない判断やし、ちょっとドン臭かったなって」

 後方からのスタートとなれば、タイヤをいたわってピットストップ回数を減らす方法を選びたい。実際、Q3でアタックを行なわなかったセバスチャン・フェッテルはそのつもりだろうと可夢偉は思った。ソフトタイヤでスタートするための、Q3ノータイムだろうと。

 しかし可夢偉にはデータがなかった。

 木曜の午後が雨に見舞われたせいで、ロングランはできておらず、タイヤがどのくらい保つのかは全くの未知数だった。去年は可能だった1回ストップ作戦は、ソフトタイヤのゴムがワンステップ柔らかくなったことで難しくなっている可能性が高い。

「僕はまだ重たいタンクで走ってないし、5周以上連続で走ってもいないくらいやと思うんで、タイヤがどうなるかは分かんないです」

 普通のレースとは違う、特殊なモナコ。

 可夢偉が嫌っていた通りの、モナコのネガティブな面が襲いかかってしまった。

「ポイントが獲れたら充分でしょ、こういう時は(苦笑)。でもまぁ、モナコはなるようにしかなりませんから。ここのレースはトラフィックをどう上手く処理して単独で安定して走れるかにかかっているので、できるだけそのへんの戦略を考えて走れればと思います。変なアクシデントに巻き込まれないことと、セーフティカーの流れもあるんで、一番はやっぱり運じゃないですか(苦笑)」

 得意のスタートダッシュも、ここでは危険と隣り合わせになる。

「スタートでは抜けないと思います! ここは1台抜けたら御の字でしょうね。モナコは基本、無理。抜きに行ったらクラッシュ率90%くらいやから」

 王宮の崖の向こうに太陽が沈むと、街ではクラブミュージックが鳴り響き始め、オープンされたコース上ではレストランからはみ出した客たちが騒ぎ、高級車ばかりの大渋滞をより一層ひどいものにしている。

 可夢偉はそれには目もくれず、自宅へと戻り、一人静かに海を眺めた。

 いつもとは違い、地中海に面したハーバーは大小様々なクルーザーで埋め尽くされ、その無数の小さな明かりが海面に揺らめいている。

 こうして土曜の夜は更けていった。

 

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「30分後に雨が降ってくるかもしれない」

 狭く大混雑したモナコのグリッドを左右にかき分けながら11番グリッドへ向かう頃、FIAが提供するレーダーにはそんな予報がもたらされていた。

 雨が降ればレースは荒れる。

 僅かに湿っただけのダンプコンディションでさえ、モナコの路面は完全にグリップを失うのだ。スリックタイヤでの走行はできない。木曜午後にコースオフが相次いだことからも、それは明らかだった。可夢偉自身、インターミディエイトで1周だけのコースインを行ない、その感触は確認済みだった。

 だが、可夢偉のレースはそんな必要もなかったほど呆気なく終わってしまった。

 無線で指示されたクラッチマップに設定し、スロットルを踏み込んでクラッチパドルを放すと、C31は最高の加速を見せてくれた。

 不可能だと言っていた追い抜きを早々に決め、さらにもう1台、2台というチャンスも見えた。

 だがその矢先、左から黒いマシンが前を横切り、そして可夢偉のマシンに向かってきた。

 イン側にスペースがなくなりそうだと直感した可夢偉は、咄嗟にアウト側にステアリングを切った。しかし、無情にも黒いマシンはスピン状態からグリップ走行に換わってアウト側へと行き先を変えてしまった。

「スタート自体は今シーズンで一番っていうくらい良くて、すぐにヒュルケンベルグの前に出ててライコネンの横にいたくらいで、ベッテルに着いていくかいかないかというところだったんですけど。ベッテルはギリギリすり抜けたんですけど、僕はその後ろに着いていったら内側に当てられる危険性があると思ったんで、外に逃げたらその瞬間にアイツが外に戻ってくるというワケのわからない動きをして。まぁ、運が無いなと思うしかないですね」

 他車と接触したロマン・グロージャンのマシンは、1コーナーの真ん中で可夢偉の右リアタイヤをヒットして止まった。

 可夢偉としてはどうしようもない事故だった。あの時イン側に行っていれば、というタラレバを後で言うのは簡単だ。サポートレースのGP2では、どんな理由があろうと1コーナーのイン側ショートカットがペナルティの対象となっていたという心理的影響もあったのかもしれない。

「アウト側にはバトンもいたし、あれ以上アウト側に行ったら僕がバカな動きをしたって言われちゃうんで。『当たるな』とは思ったけど、あれ以上は行けないから。今回はどうしようもなかったと思います。

 おじいちゃん(ペーター・ザウバー代表)も笑ってましたよ。あれは怒りようがないでしょ。あれで怒ってたら、僕が怒ってますよ(笑)。『あれ以上どうせいっちゅうねん、俺が』って(笑)」

 レース後、集団の中で一際高く飛び上がった自身のマシンをとらえた写真を見て、「別世界におるやん!」と可夢偉は笑った。

「普通に走れていれば簡単に7位とか行けてたと思うんで残念ですけど、事故に巻き込まれてポイントを失ったのは痛いなという気がします」

 そう言いながらも、可夢偉の表情は晴れやかだった。

 誰のミスでもない済んだことを、くよくよ考えても意味がない。それよりも大切なのは、次に向けて何ができるかだ。

 気の重かったモナコが終わり、次のカナダに向けて心機一転。モナコのギャンブルは功を奏さなかったかもしれないが、勝負はまだ終わってはいない。 

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(text by Mineoki YONEYA / photo by Wri2, Sauber)

 

2012年5月30日発行

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