REPORT【報道】

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「カムイ、すぐにマシンを停めてくれ。トラブルだ」

 フランチェスコ・ネンチの声が無線のイヤープラグに響いた。

 Q2最後のアタックを終え、チェッカーを受けた直後のことだった。

 ターン3先のコース脇にC31を停めコクピットから降りると、可夢偉は合点がいった。あれだけ絶好調だったマシンが、Q2の最後になって急にグリップを失った理由が分かった。

 C31のカウルの隙間からはオイルが漏れ、リアタイヤに飛び散ってグリップを奪い取っていた。

 ハイドローリックのオイルリーク。

 半周も前から、油圧制御用のオイルは漏れ出していたのだ。

 細いスチール製のパイピングは、激しいGと振動の中でデリケートさを増す。ハイドロ系のトラブルはF1マシンに付きものだ。

 とはいえ、これで今シーズン何度目のトラブルだろう?

「運が無いのはどうしようもないですよ」

 そうは言いながらも、可夢偉は悔しさとやるせなさがない交ぜになった気持ちを、抑えることができなかった。

 この週末のC31は、極めて高いポテンシャルを示していたからだ。

 どうしても欲しかった表彰台。どうしても必要だった表彰台。

 その目標が、今週末は現実味を帯びていると可夢偉は感じていたのだ。

「今回は調子良かったから、行けるんちゃあうかって思ってたんですけどね、マジで……」

 可夢偉はふと漏らした。

 曰く、実力で予選4位を奪った中国GPの時よりも、手応えは強かった。

「Q1から(予選2位のパストール・)マルドナドと近いところにいたんで、2位か3位には入れてたクルマの調子だったと思います。Q3で走れてたら、あそこ(会見場)で喋ってましたよ」

 事実、漏れ出したオイルにグリップを奪われながらも、可夢偉はQ2最後のアタックでQ3進出を決めていた。

「ターン7くらいからオイルが漏れながら走ってたんで、そのせいでセクター3はタイムアップできてないんです。実際にはもっと速いタイムが出せてたはずですからね。セクター2まででコンマ7くらい上がってたから、セクター3であとコンマ3上がってたら(Q2)でも2位か3位くらいのタイムが出てたと思いますよ」

 いくらそれだけのポテンシャルがあれども、9番グリッドからでは表彰台は遠い。

 現実的な目標として目の前に見えていたはずの表彰台が、逃げるようにまた遠ざかっていってしまったことを、可夢偉は感じていた。

 

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 ムジェロでのテストを終えて、可夢偉はパリに降り立った。

 チームが用意したインプレッサの運転席に乗り込んで、一路南へと走り出す。

 住み慣れたパリのアパルトマンを引き払ってから1年あまり、可夢偉はスーツケースとともに旅を続ける住所不定の生活を続けてきた。しかし、ヨーロッパラウンドの開幕とともにモナコでの生活が始まる。

 その前に、まず向かうのはスイスのチューリッヒ。

 ホテルの高さ、レストランの高さに不平を言いながらも、一人きりでのんびりとした時間を過ごした。

 そしていよいよ、バルセロナへ。

「たった12時間のドライブでしたよ」

 地中海沿いのドライブを、可夢偉は楽しんだようだ。

 真っ青な海に、真っ青な空。

 5月の南ヨーロッパは、すでに最高の季節を迎えている。バルセロナでも、強い太陽の陽射しが照りつけ、路面温度は40度を超えている。

 C31には、ムジェロで効果が確認された新しい空力パーツがいくつも取り付けられていた。

 おまけにリアカウルとノーズにはプレミアリーグを戦うチェルシーFCのロゴが加わり、ピットガレージ前での発表会の後には、そのイメージカラーである鮮やかなブルーのシャツやマフラータオルがチームのあちこちで見られた。

 バルセロナはカレンダー中で一、二を争うほど、空力が効くサーキットだ。

 そして例年、ヨーロッパラウンドの開幕となるこの地には、各チームがこぞって大型のアップデートを持ち込む。予算規模の小ささゆえにシーズン中の開発能力に劣るザウバーは、この辺りから苦戦が始まるのが常だった。

 だが今年はどうやら様子が違っているようだった、

 ムジェロに持ち込まれた新型パーツに大がかりな物は少なく、パーツの数で言ってもザウバーのそれは決して上位チームに見劣りのするものではなかったのだ。そして実際、テストとはいえラップタイムも良好で、アップデートの効果もありそうだった。

「タイヤの保ちを良くしたい」

 可夢偉はそう言い続けていた。

 昨年の弱点を克服したいというC31の開発コンセプトは功を奏し、予選のパフォーマンスは着実に改善されている。しかしその一方で、昨年型マシンの美点であった決勝ロングランでのタイヤへの優しさは、完全にではないにせよある程度は失われてしまっていたことも事実だった。

 マシンの改良とセッティング、そしてドライビングの改善で、それを取り戻す。

 ムジェロでの作業で、その方向性は見えてきていた。しかし、ムジェロにはグランプリサーキットのような大胆な空力コーナーは少ない。

 その意味では、現代サーキットを代表するこのバルセロナで明確な答を見つけ出すことが、シーズン全体の行方を占うと言っても過言ではなかった。

 

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 午後9時を迎えてようやく薄暗くなり始めたバルセロナのパドックで、ザウバーのトランスポーター2階にせり出たエンジニアオフィスから光が漏れていた。

 可夢偉はフランチェスコの横に座り、エンジニアたちを前にヘッドセットをして長々と話を続ける。金曜夜のミーティングは、午前・午後の計180分のセッションで得たデータを元に、続いていた。

「ほら、やっぱり遅いやん!」

 可夢偉がフランチェスコに見せたのは、最終コーナー手前にあるシケインの走行データだった。

「最後のシケインは、ティモ(・グロック)が入口をすごくゆっくり入って、V字で(切り返して)全開で立ち上がり重視で抜けて行くっていうのをやってたらしいんですけど、フランチェスコが『こういう走り方をしろ』って毎年しつこく言うんで、やってみたら僕だけ遅かったっていう(苦笑)」

 トヨタ時代にグロックを担当していたフランチェスコは、時折そうやって可夢偉にベテランから学んだドライビングのコツを教えてくれる。

 だが、それが正しい時もあれば、そうでない時もある。ドライバーとしては、試すまでもなく今のマシンに適さないアドバイスもあるらしい。

「毎年あんまりうるさいから、『言いなりでやったるわ』って言うてやったけど、『やっぱり遅いやんけ!』ってデータも見せて、『これでもまだ言うんか?』って言うたら、『いや、もう言わない』って(苦笑)。頑固なんですよ、証拠が出て来るまで根拠を曲げないから。彼はそういう性格なんですよ」

 もちろん、エンジニアリングミーティングはそんな笑い話ばかりではない。

「一発のタイムをもう少し伸ばしたいという気持ちもあるんですけど、やっぱりタイヤをどう保たせるかっていうのがカギになってくると思うんで、レース重視で、タイヤを上手く保たせられるようにって考えてやってます。マシンバランスを良くして、リアを上手く保たせないといけないんで」

 実はこの時点で、可夢偉は大きな手応えを掴んでいた。

 データを元に分析した自分たちのペース、そして周りのペース。その数値は、C31にQ3進出のポテンシャルが充分にあることを物語っていた。

 そしてなにより、マシンのフィーリングは予選4位を獲得したあの中国GPの時を上回るほどに良好だった。

 今回はマジで行けるかも……

 目の前にちらつきながらもまだまだ遠いと思っていた表彰台が、この週末は現実的な目標として可夢偉の前に見えていた。

 土曜午後の予選を迎えても、その感触は揺るがなかった。いやむしろ、さらに強固になっていった。

 予選トップ3が狙える速さ。C31にそのポテンシャルがあるのは間違いなさそうだった。

 だが、それが証明されることは無かった。

 今年から大幅に入れ替わったメカニックの不慣れな作業のせいか、可夢偉のマシンの配管からはハイドローリックのオイルが漏れ、それ以上の走行を続けることは不可能になってしまった。漏れがさらに進んだ状態で負荷をかけてギアボックスやクラッチを物理的に壊してしまうことを避けるため、チームは問題に気付いた時点ですぐに停止を命じたのだ。

 ターン4手前のランオフエリアにマシンを停めた可夢偉は、悔しそうにマシンを見詰めながらグラベルを踏み付けてそこを立ち去るしかなかった。

「すごくスムーズな週末で速さもあったんで、今年一番の調子だったかもしれないですね。アップデートの効果も含めて、ここまでスムーズな週末でした。本当に速かったんですもん。だからこそこのグリッドは、残念度100%に近いですね……」

 期待はずれの9番グリッド。それでもまだ全てを失ったわけではない。まだチャンスはある。

 可夢偉は自分に言い聞かせて、やや自嘲的に笑顔を作った。

 

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 予選で証明されることのなかったC31のポテンシャル。それは皮肉にも決勝で証明されることになった。

 9番グリッドからスタートした可夢偉は、レース序盤からマクラーレンやレッドブル、メルセデスAMGの背後につけ、冷静に戦況を見守る。そして彼ら強豪チームを相手に互角の戦いを演じた。

 自分本来のペースよりも、彼らの方が遅い。決勝でもそれは変わってはいないようだった。

 その渋滞の中に身を置くうちに、前方ではフェルナンド・アロンソとパストール・マルドナドが後続との差を広げていった。本来なら、可夢偉はその争いに加わっているはずだった。今週末のC31には、それができるだけの速さがあった。

 得意のコーナリングで間合いを詰め、ブレーキングの瞬間に一気に院に入り込み、相手に反撃の隙を与えない。

 可夢偉らしいドライビングで、ジェンソン・バトン、ニコ・ロズベルグを料理した。

「僕らはとにかくストレートがあり得ないくらい遅過ぎてどうしようもなかったんで、抜くならコーナーで抜くしかないと思って狙いました。出口でできるだけくっついていって。あんまり全部のコーナーでついていくと相手がディフェンスしやすくなってしまうんで、バレないように(あそこで一気に仕掛けた)。曲がれるかどうか分からなかったんですけど、行ってみたら『お、曲がれるやん!』って感じで(笑)」

 可夢偉が選んだのは、奇襲作戦ではなく、他の上位勢と同じ3回ストップ作戦。上海ではできなかった真っ向勝負で、バルセロナでは相手を打ち負かしていた。

 終わってみれば、レース序盤から先行した上位2台とロータス勢に次ぐ5位。マクラーレン、レッドブル、メルセデスAMGよりも速かったことが証明された。

「ペースは悪くなかったんで、予選さえちゃんと走れていれば表彰台に行けていたと思います。完璧な週末にならなかったというのは悔しいですね。チャンスを逃したという意味では残念ですけど、でもレースの内容という意味では全体的に上手く行ったと思います。ストレスの溜まるレースでしたけど、最終的に5位っていうのは悪くないと思います」

 チーム間の差が極めて接近している今季のF1では、僅かなロスが大きなポジションの差となって表われる。逆に、僅かなゲインが大きな浮上を可能にすることもある。バルセロナのウイリアムズがそうであったように。

「この5戦で5人の勝者が生まれてるし、今年は何が起きても不思議じゃないと言っても過言じゃないでしょうね。もちろん結果はいろんな要素によって左右されますけど、成功を手に入れるために必要なのは、レース週末全体をどんな小さなことでも全てを完璧にまとめ上げることなんです」

 バルセロナの可夢偉は、予選でのハイドローリックトラブルというたったひとつの綻びによって、表彰台のチャンスを失った。

 メルボルンではスタート直後の接触でリアウイングを壊して失い、マレーシアではトラブル続きで失い、上海ではグリッドに染みていたオイル跡によって失った。バーレーンでは不向きなサーキット特性によって失った。可夢偉にはまだ完璧なレース週末が巡って来ていない。それも全て、客観的事実の不確定要素によって。

「完璧じゃない週末で5位っていうのは、クルマもみんなも成長した証拠やと思います。でも今後は調子の良い時に完璧な1週間を過ごすっていうことができたら、表彰台も充分可能だと思うんで、しっかりミーティングも重ねて完璧な週末にできるようにしたいですね」

 そう言ってカメラとレコーダーが止まると、可夢偉は大きく溜め息をついた。

 それは、落胆、怒り、悔しさ、いろんな物が入り混じった溜め息だった。しかしそれは、決して勝手にこぼれ出たネガティブな溜め息ではない。力強く、この週末を振り切るように吐き出した前向きな吐息。

 それはきっと、可夢偉がさらに前へと進むための加速力になるはずだ。 

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(text by Mineoki YONEYA / photo by Wri2, Sauber)

 

2012年5月18日発行

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