REPORT【報道】

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 サンパウロの真っ青な空を見上げると、よくこんなにも遠くまでやって来たものだと感じる。南半球は夏を迎え、街路に立つ木々は深々と緑づく。

 オースティンを月曜の午後に発って、シカゴを経由しサンパウロへ。

 景気が上向き数年前ほどではなくなったとは言え、それでもまだこの街の治安は最高とは言えない。グランプリ関係者を標的とした強盗も、毎年のように報告される。火曜日の朝に到着しても、ホテルから出歩くことなどできない。

「腕時計、外した方がいいですよ。移動中とか、ホンマにリアルに恐いもん。僕も時計はサーキットでしか着けへんもん。これはチームとの契約上、しょうがないからね。でも、さすがにサーキットでは腕ごと持って行かれへんでしょ?(苦笑)」

 狭く雑然とした古くさいパドックの片隅で、降り注ぐ強い陽射しに眩しそうな顔をしながら、可夢偉は言った。

 可夢偉が急きょデビューすることになったあの2009年のブラジルでも、トヨタF1チームのスタッフが乗る移動車が拳銃を持った強盗団に襲われたことがあった。

 あれからもう3年。

 可夢偉は昔をしみじみと振り返ったりするような男ではない。しかし、3月に始まった20戦という長いシーズンが終わろうとしていることは事実として重くのしかかってくる。

 最後の週末を前にそんなことを一人思っているところに、チーム代表でありザウバー・モータースポーツ社のCEOでもあるモニシャ・カルテンボーンから話があると言われた。

「カムイ、本当にごめんなさい。来年のドライバーラインナップが決まったわ」

 いつかその言葉を聞かねばならないことは、可夢偉も分かっていた。だから、そこに望みを掛けたりはしていなかった。

 それよりもむしろ、300人の従業員を養っていかなければならないチームの長として、思い悩むモニシャのことを気遣っていた。

「そうなんだ、良かったね」

 可夢偉はそう言って、モニシャに微笑みかけた。もうこれ以上あなたが苦しむ必要はない、僕に対して責任を感じる必要もない、そう言いたくて。それがモニシャに対する、可夢偉のせめてもの思いやりの言葉だった。

 そして今シーズン最後の週末が始まる木曜日、可夢偉はひとつのウェブページを立ち上げた。『KAMUI SUPPORT』という名のそれは、これまで可夢偉の元に届いていたファンからの「資金支援をしたい」という声に応える形でずっと準備を進めてきたものだった。

 分かりづらい税務面での確認作業や、実際に運営していく上での作業負担とそれを担うマンパワー、自分たちにやれることとやれないこと、そして何より、応援してくれるファンの人たちに対する責任。このプロジェクトのスタートに至るまでには、途方もない時間我必要だった。

 準備には1カ月もの時間がかかったが、それさえもなんとかこの最終戦ブラジルGPまでに間に合わせたというのが実状だった。

「今回が最終戦だけに、(シーズンが終わると)ニュースが広まらなくなっちゃうじゃないですか。そこがちょっと問題なんで、だから無理矢理ギリギリで最終戦に間に合わせたくらいの勢いですからね。じゃないとニュースにならないから意味ないなと思って」

 そもそも可夢偉は、プロのレーシングドライバーとは能力を評価されてそれに見合った対価を得た上でマシンに乗るべきものと考えていた。そして事実、2010年からずっとF1の世界で数少ないペイドドライバーとしての地位を確保してきた。

「可夢偉は非常に素晴らしい才能を持ったドライバーであり、F1界に留まるべき人材だ」

 シーズン終盤になって可夢偉の苦境を耳にしたバーニー・エクレストンは、そう言った。

 胸のすくようなオーバーテイクにせよ、アグレッシブなドライビングにせよ、彼は”特別な何か”ができるドライバー。F1界における可夢偉への評価は変わらず高い。表彰台の回数ではなく、その中身と走りによって評価される。

 だが、企業としてのチームを維持していくために、スポンサーの持ち込みを求めざるを得ないチームが増えてきた。ザウバーもそうだった。

「このチームに残ろうと思ったらお金が必要でしょうね。でも他のチームやったら逆やから」

 あの表彰台の興奮がまだ冷めやらぬ1カ月前、可夢偉はそう言っていた。

 確かに、中には可夢偉にシートと契約金を用意しようというチームもあった。だがしかし、可夢偉が乗りたいのは上位争いができるコンペティティブなマシンだった。

「そんな勇気の無い人間にはなりたくないんです。そんな人間やったら、F1では生き残っていけへん。例え1年間苦しい状況でレースをしても、そこで結果を残すことによってその次に繋がるんじゃないかと思うから。ポイントも獲れないようなチームに行ってしまうと、(自分の実力は)何も見せられないから。ポイントが獲れないチームなんて、誰も見てくれないですよ。『邪魔しちゃダメだよ』くらいにしか言われへんのやから。

 遅いチームで走ってお金もらってしょうがないんですよ。それって、結果を残しにいくことを諦めてるようなもんでしょ? よく言うじゃないですか、『諦めたら何も始まらない』って」

 可夢偉がそう言うのは、来年ではなく2014年のシート争いには大きなチャンスがあると考えているからだ。

「(上位のドライバーが)2013年はあんまり動かないけど、2014年はいっぱい動くと思うから。だから今はとにかく、ポイントを獲って戦えるチーム、上のチームが見てくれるようなチームに残ることが重要なんです」

 もちろん葛藤はあった。自分の信念を曲げ、世間の”常識”におもねることに、抵抗はあった。

 それに、ファンの間で賛否両論が巻き起こり、批判を受けることも承知の上だった。物乞いのような真似をしてまでF1に乗るのかと。

 だがそれでもなお、可夢偉は挑戦したいと思った。夢に向かって。

「人から見れば、ワガママかもしれないですけどね、『ええやんけ、そんなもん! F1に乗れてるんやから、遅いチームでもカネもらって乗っとけよ!』って思われるかもしれへん。実際にそう言うてくる人もいます。

 でも、僕はそのためにレースをしてるわけじゃないから。レースが楽しくて、レースで勝つために始めたから。残念なことに、F1では勝つために必要ないろんなことも、ステップのひとつやっていうふうに考えなきゃいけないから。

 いろいろ考え方はあるかもしれないし僕のワガママかもしれないけど、僕はレースに意味があるとしたらそれは勝つことやと思うから。一口1万円というのはすごく大金だと思いますけど、僕が頑張ってF1に残って結果でそのお返しができればなと思っています。僕にはそれしかできませんから」

 こうした状況を全て踏まえた上で、可夢偉は『KAMUI SUPPORT』の始動を決断した。ザウバー残留の可能性が潰えたことも明かさないままで。

 もうシーズンは終わろうとしている。「遅すぎる」という声もある。実際、時が進むにつれて残りの空きシートは減っていく。可能性がありそうなシートは、もう数えるほどしかない。

 だが、可夢偉には何か”隠し球”があるようだ。

 あまりに自信を漂わせて語る可夢偉に、思わず良い感触が掴めているのかと問い掛けずにはいられなかった。すると、可夢偉はゆったりと自信たっぷりにうなずいた。

「ホントに。それは安心してください。でもね、それをあまりに言っちゃうと大変なことになるんですよ。それはちょっと待って頂かないと。難しいんですよ。あまりに変に動くと、そのチャンスが壊れちゃう可能性もあるんで。まだ選択肢はありますよ。みんな僕が困っていると思ってるみたいやけど、全然困ってませんから」

 狙っているチームというのは、決まった時にファンが落胆しないようなチームだと可夢偉は言った。

「大丈夫です! ホンマに、ホンマに。そりゃそうですよ、下(のチーム)やったらお金なんて払わないですよ、そんなん!」

 可夢偉にはすでに支援を約束するスポンサーも現われている。ファンからの支援とスポンサーの支援。人々の思いと夢を乗せて、可夢偉はF1の頂点に挑戦しようとしている。

 自分がF1にいる意味って、何だと思う? そう聞くと、可夢偉は少し考えてから、しかし力強く真正面を見据えて、言った。

「そろそろ証明したいんです、日本人だってF1で勝てるんやっていうことを」

 地球の裏側、サンパウロの空は底抜けに青く眩しかった。

 

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 低速のヘアピン、ターン10で可夢偉の右フロントがロックした。タイヤからはスモークが上がり、回転を失い路面に擦りつけられたラバーにはフラットスポットが生じる。

 直前に降った雨で濡れた路面が乾いていく中で、予選は可夢偉にとって刻々と厳しいものになっていった。

「熱は入るんですけど、すぐにオーバーヒートしちゃうんです。リアタイヤが両方とも。ダウンフォースがあればしっかりと路面に押さえつけて熱を入れられるんでしょうけど、このクルマはダウンフォースがないしタイヤが動かないからグリップしなくて滑ってしまって、表面だけがオーバーヒートしちゃうんですよね、特にリアタイヤが」

 元々路面温度が低いことを想定してデザインされたピレリのミディアムとハードの2スペックは、暑いブラジルの天候には合っていないように思われた。

 強い陽射しに、路面温度は50度を超えていた。金曜日はオーバーヒート症状が酷く、上位チームのドライバーたちですらグリップ感の不足をしきりに訴えていた。

 しかし30分前に僅かの間だけ降った雨によって、予選が始まった時の路面はダンプ状態だった。多くのドライバーがコントロールに苦しみ、四方八方でマシンを滑らせていた。

 本来なら難しいこのコンディションは、可夢偉にとって歓迎すべきものだった。

「面白いことに、路面が乾いているところっていうのが、今週末で一番グリップとトラクションが良かったんです。路面が濡れているところがタイヤを冷やしてくれたから、ちょうど良かったんです(苦笑)」

 もちろん、可夢偉らしいマシンコントロールの巧さが存分に生かせるコンディションでもある。メインストレートに向かって上っていく最後のコーナー、ターン12では一人だけ違うラインを走ってタイムを稼いでいた。

「インフィールドは乾いてたんですけど、ターン12から先の上りがまた濡れているっていう状態でした。あそこはイン〜インじゃなくて、ドンと奥まで行って90度に曲がってるんです。トラクションをかけるためにね。(立ち上がりでスロットルを踏む時に)ハンドルを切ってたら滑っちゃうから。

 アウト側のライン上はラバーが乗ってて濡れてると逆に滑るし、あれが結構速いんですよ。直線が長いから、あそこでトラクションが良い方がラクなんです。その分、その後の若干左に曲がるところはキツいですけどね。あっちはフラフラでしたもん(苦笑)」

 だが路面が乾くとタイヤの問題が再燃した。Q2では満足な走りができず、予選15位。

 メルセデスAMGに追いつきコンストラクターズランキングで5位に上がるためには、13ポイントが必要だった。だが、決勝には雨なる確率が高そうだった。

「そやね、雨の方が良いね。13ポイント獲ろうと思ったらね」

 雨のレースでなら、何が起きてもおかしくはない。ドライバーにとって難しいレースにはなるが、可夢偉は難しいことは考えずに本能に従って臨むのみだ。

「いやぁ、もう行くしかないでしょ。だって、雨は(どんな展開になるか)分かんないもん。分かんないから、行くしかないでしょ? 頑張って走って、行けるところで行くしかないんですよ。

 雨のレースは大丈夫ですよ。晴れのレースやったらキツいけど。チョイ濡れだと抜けないからダメですよ、一人だけ濡れてる(オフ)ラインに突っ込むことになるでしょ? 完全にフルウエットだと良いですね。

 特別リスクを背負って行こうとは思ってないし、いつも通り、自分の仕事さえきっちりできれば良いと思ってます」

 時折インテルラゴスの空が見せるように、豪雨になればセーフティカー先導のスタートや赤旗ディレイもあり得る。しかし可夢偉は通常のスタートが良いと言う。

 スタートでのポジションアップが狙えるからかと思えば、そうではなかった。

「スタンディングスタートの方が良いでしょ、F1のドラマづくりとしては(笑)。僕らはこの最終戦のチャンピオン争いの一番高い観客席で走ってるようなもんやから(笑)」

 もしチャンピオンを争うフェッテルやアロンソとコース上で出会ったら、やはり遠慮したりするのかと聞かれると、可夢偉は当たり前の様に言った。

「そんなことあり得ませんよ、僕らがあの人たちより速いことなんて滅多にないんやから(笑)」

 金曜日のフリー走行前にザウバーが来季のドライバーラインナップを発表してから、可夢偉の元には海外のメディアも多数詰めかけていた。この日も可夢偉は、予選15位という結果には似つかわしくない大勢の報道陣に囲まれていた。

 彼らは来季に向けた交渉状況を尋ねつつも、可夢偉にシートを獲得してもらいたい、F1界に残るべきだという励ましを伝えに来ているようにも思えた。このブラジルにも大勢の可夢偉ファンがいるらしく、地元メディアもやって来て熱心に尋ねる。この血には日系人が多いだけでなく、ラテン系の人々の血を熱くさせる何かが可夢偉のドライビングにはあるのだと彼らは言う。ヨーロッパのメディアも、ブラジルも、コロンビアも、そしてメキシコのメディアでさえも、誰もが口を揃えて言う。可夢偉はF1にいるべきドライバーだと。

 可夢偉は、そんな声が面映ゆくも嬉しかった。

 

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 午後1時半。ピットレーンがオープンになるなり、インテルラゴスは霧雨に包まれ始めた。

 最初は肌に僅かに感じるほどだった微少な水滴は、各車がレコノサンスラップを終えてグリッドに就く頃には徐々にその濃さを増していた。

 このレースを最後にF1から引退するミハエル・シューマッハがフラッグを持って1周を走りグリッドに赴いたのよりも遅く、可夢偉はいつものように全車の中で最後にグリッドにやって来た。

「ザウバーでの最後のレースで、チームのために良い結果を出したいです。それができるチャンスはあると思っています。チームと一緒に働いて、笑ってさよならを言いたいです」

 前夜、可夢偉はなかなか寝付けなかった。

 いつものようにファンからのメッセージをチェックしてから、普段は滅多にしないツイートをした。

「正直、明日でこのザウバーとC31ともお別れだと考えると、なかなか色んな思い出もあって、目をつぶると頭の中で思い出がいっぱい湧き出てきます。だから寝れません。ザウバー最後の仕事、全力で最後の最後、1秒まで全力で行きます!!」

 それは心からの言葉だった。

 このチームとはいろんなことがあった。

 辛い時も嬉しい時も、ともに歩んできた。失敗もした。腹を立てた時もあった。でも今は、そんな紆余曲折があったからこそ、自分もチームも強くなり、ここまでやって来られたのだと思える。実力で鈴鹿の表彰台に上ることができたのも、このチームの彼らとともに歩んできたからだ。

 ヘルメットを被り、コクピットに収まり、最後のシグナルが消えるのを待った。

 1周目に起きた多重事故のおかげで、可夢偉は10番手まで浮上していた。目の前でフェッテルがスピンし、あわやというところで右にステアリングを切って避けた。

 やがて雨脚が急激に強まり、可夢偉にとっては有利な展開になった。前のマーク・ウェバーがペースを落としたとみるや、ターン1でインに飛び込んだ。しかし彼はドアを閉め、可夢偉はフロントウイングの翼端板とアッパーフラップを失ってしまった。

 8周目、インターミディエイトに換える際にフロントノーズも交換して事なきを得ると、濡れた路面に水を得た魚のように、可夢偉は6位まで順位を上げた。前を走るのはフェッテル、そしてアロンソだ。

 路面上に落ちた多数の破片を処理するためにセーフティカーが導入され、30周目、レース再開とともに可夢偉は前のフェッテルをメインストレートで捉えて、ウェバーとともに3ワイドでターン1へと飛び込んだ。ウェバーは止まりきれずにコースオフし、可夢偉はフェッテルを鮮やかに抜き去って5位に浮上した。

 さらには2周後、今度はターン4でDRSを使ってアロンソを抜き去り、4位へ。翌周には再び抜き返されはしたが、土曜日に言った冗談が冗談でなくなるような、チャンピオン争いを演じる二人を向こうに回して堂々たる走りを見せた。これこそが、小林可夢偉が小林可夢偉たる由縁だ。だからこそ、世界中のF1ファンを虜にする。”特別な何か”を期待させてくれる男だ。

 しかし、雨がやみ路面が乾いてくると、可夢偉のC31は苦しくなってくる。Q3に進んだような上位勢を相手にすると、その差は歴然だった。それでも長く6位を守ってはいたが、54周目のピットストップでシューマッハの後ろに回ると、56周目にフェッテルに先行を許し、8位へ。

 すでにメルセデスAMG逆転の可能性はなくなっていた。しかし、ラップタイムの遅いシューマッハに追いつき、可夢偉はインに飛び込んだ。

「あの時点ではもう、(ランキングが)何も変わることはなかったんですけど、トライしてみて。自分では抜けると思ったんですけど、やっぱり雨であそこまで濡れると、ドライの時のレーシングラインが逆に滑っちゃうんで、止まれなかったですね。メルセデスAMGを抜くのを目標にして、できる限りチャレンジしたんですけど、やっぱりそんなに甘くなかったですね」

 接触した可夢偉のマシンはクルリと回り、その間に2台に抜かれた。そのうちの1台が最後にクラッシュして可夢偉は9位でチェッカーを受け、2ポイントをチームにプレゼントした。

「コンディションは難しかったですけど、なんとかギリギリ上手く対応した感はありますね。インターミディエイトの時だけは良いんですけど、あとは路面が乾いてくるとクルマのペースが全体的にキツかったですね。予選の結果を考えると、今日こうやってポイントが獲れたっていうのは素晴らしい結果だと思います」

 アロンソを抜いた時にはビックリしたよと言うと、可夢偉は笑って言った。

「あっ、そう? たぶん(フェラーリ代表のステファノ・)ドメニカリは怒ってるやろね」

 パルクフェルメから小雨の中を歩いてチームのホスピタリティエリアに戻ると、そこにはモニシャが待っていて、いの一番に可夢偉を抱きしめた。

「ごめん、最後までトライしたんだけど、難しかったよ」

 可夢偉はランキング5位をプレゼントできなかったことを謝ったが、モニシャはもうそんなことはどうでもいいのだと言って、可夢偉を強く、強く抱きしめた。

「私にとっては彼のベストレースのひとつだったわ。カムイの走りを見ていて、(チームにランキング7位をもたらした)去年のここでのレースを少し思い出したわ。素晴らしいファイトだったし、カムイのスピリットそのものだった……」

 そう話しているそばから、モニシャの茶褐色の大きな瞳は涙に滲んでくる。

「もうすでに充分別れは辛かったのに、もっと辛くなりました。私が彼のことをどれだけ好きか、個人的にもどれだけ深い関係を築いてきたか、それはチームの誰もが知っています。チームにとって本当に苦しく重要な時期にこのチームにやって来て、ともに戦い、チームに貢献してくれました。チームがここまで来られたのは、まさに彼の貢献があったからこそです。我々はともに一歩ずつ歩んできたのです。

 だからこそ余計に感情が高ぶってしまうし、別れが辛くなりました。本当に、本当に、彼には幸運を願っています。そして、どんな未来であれ彼なら上手くやってくれると信じています」

 チーム代表としての顔に徹してきたモニシャだったが、一人の人間に戻れば、可夢偉との最後のレースに彼女の胸は引き裂かれそうになっていた。彼女の目からは、涙が止まらなくなっていた。

「シーズンが終わったら、彼のことがとても恋しくなるでしょうね。えぇ、間違いなく」

 チームスタッフも全員が可夢偉と抱き合い、笑顔で別れを告げた。

「自分ができる力を精一杯出して戦い抜いて、なんとか9位ということで、楽しくレースができました。コース上でバトルができて、自分のレースができたから。楽しくレースをして、笑顔でお別れができましたよ。ザウバーとともに戦ってきた3年間は素晴らしい経験でした」

 ペーター・ザウバーからは、「『3年間ありがとう』って。『またヒンビルに来るのか?』って言われたんで『行けたら行く』って言うときました(苦笑)」。

 夜のフライトに乗るため、可夢偉はエンジニアミーティングが終わるなりすぐにサーキットを後にしなければならなかった。

 後ろ髪を引かれる思いで、サーキットを後にする。

 だが、いつまでも引き摺ってばかりはいられない。自分は、新しい未来のために前を向いて進んでいかなければならない。

「そうですね、これからは来シーズンに向けてビジネスマンになってみます!(笑)PR活動もやりますよ。日本に帰ってから、死にそうになってると思いますよ。今のところ、予定ではかなり可哀相なことになってますから、僕(苦笑)。でも、精一杯いろいろやっていきますから。何か良い報告ができるまで、期待して待っていてください」

 そう言って可夢偉は笑顔で別れを告げ、振り返って歩いて行った。

 インテルラゴスの雨は、降ったりやんだりを繰り返しながらも、少しずつ雨脚を弱めていた。もう傘は要らない。

 その後ろ姿は、覚悟と信念に満ちていた。

 自分は迷わず歩いて行く。夢に向かって。

 

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 (text by Mineoki YONEYA / photo by Wri2, Sauber)

 

2012年11月27日発行

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