REPORT【報道】

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 テキサス州オースティンの風は、ひんやりと肌に冷たかった。

 夏は40度を超える猛暑に干からびるこの地も、1週間ほど前から急に朝晩の冷え込みが厳しくなった。景色はもうすっかり秋めいて、冬の訪れも間近に感じられる。2012年のシーズンももう終わりに近付いているのだと、いやが応にも意識させられる。

 アブダビから日本に戻った可夢偉は、その数日後の週末にはアメリカへと飛んだ。15時間という昼夜逆転の時差に対応するためには、そのくらいのリードタイムは必要になるのだ。

 最後にこの国でグランプリが行なわれたのは、2007年。

 可夢偉にとっては、アメリカでレースをするのは初めてのことだ。

「そうやな……どうやろ、まぁ、僕自身はヨーロッパの方が合ってるかなっていつも思うけどね。食べ物とかは気にならないけど、まず、店と店が1軒1軒遠過ぎ(笑)。だから全然おもんないんですよ、イライラしてくるし(笑)」

 テキサスにやってきて早速、名物のバーベキューも堪能した。

「友達がみんな『テキサスに行ったらBBQを食べないと』って言うんで、トライしました。良かったけど、お腹を換えないと無理ですね。デカ過ぎです(笑)。すんごいとこ見つけたんですよ、教えないけど(笑)。雰囲気がすごくて。200〜300人くらい入れて食べ放題の、大衆BBQみたいな。肉はめちゃめちゃ柔らかかったですよ。食べ放題やから、ビックリするくらい食えるんですよ」

 そう言って可夢偉は笑う。

 9月に竣工したばかりのサーキット・オブ・ジ・アメリカズが新たなUSGPの舞台。当初からFIAのGrade1承認を念頭にグランプリのスタンダードに沿って新設されたサーキットであり、アメリカだからといって何が変わるわけではない。可夢偉ももちろん、初めてのレースであることを何ら気にしていない。

 水曜日に準備の整ったサーキットに入り自分の足で歩いて見て廻ったが、それはある種の儀式のようなものであって、特に必要だからというわけではない。

 ザウバーにはトップチームのようなドライビングシミュレーターはなく、チームのエンジニアからはプレイステーションの最新ゲームを使って事前の準備をするように勧められる。しかし可夢偉は何もやって来ない。

「はい、ないです!(笑) プレステも僕ん家にはないんですよ。でもいいんですよ。そんなことしてても、1〜2周も走ったら全然大丈夫やし。プレステってダメなんですよ、僕。その感覚で行っちゃうから(笑)。変な先入観を持って走りたくないんです」

 だから、走る前にサーキットの印象を聞かれてもこう答えてしまう。

「いや、特に……」

 目の前に聳え立つような急坂のターン1が注目を集めていたが、可夢偉にとってはさほど特別なことだとは思えなかった。見た目のイメージに左右されすぎなのではないか、と言外に含ませて言う。

「なんも思わないっす。走ってたらなんも思わないもんっすよ。みんなユニークやって言うけど、ただ上り坂でブレーキングして曲がるヘアピンっていうだけで、僕的には普通のコーナーやなって感じです。あんなん、スパに比べたら全然余裕っしょ。スパって下ってから上ってるから、実際の上り勾配(の角度)はすごいんですよ。L字みたいになってるんです。でもここは真っ直ぐ(平らな状態)からこの角度やから、大したことないんですよ」

 オースティン郊外に広がる丘陵地帯の地形をそのまま生かしたコースレイアウトには、各所にアップダウンが付けられ、その高低差のためにエイペックスが見えないブラインドコーナーも散見される。件のターン1もまさにそのひとつだ。

「まぁ、クルマ自体が元々(エイペックスは)見えないですから。若いドライバーがF1に乗ると、たいがい最初は『前が見えへん』って言うんですよ。他のカテゴリーのクルマと比べると、見えないもんですよ。元々感覚で走ってるし、ギリギリのところになれば見えるからね。まぁ、そんなに大っきな問題じゃないですよ」

 走る前からいろいろ言っても無駄。走ってみてナンボの世界。

 それが分かっているから、可夢偉はあまり多くを語りたがらない。

 路面には新舗装特有のオイルが浮き、アスファルトの目の間には砂の微粒子が入り込んでいる。路面コンディションは週末の間に刻々と変化していきそうだ。その対応の善し悪しが結果に直結する可能性もある。

 そんな難しい状況になり得るが、それさえも可夢偉は何とも思っていない。

「……どっちでもいいです。だって、好き嫌いを言うたからって、どうなります? あんま考えてないです、そこは。考えない方がいいかなと思うし」

 いかにも可夢偉らしい受け答えでUSGPの週末を迎えた。

 

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 金曜の午後4時半、メディアセンターの記者会見場を使って行なわれたドライバーズブリーフィングの後、可夢偉は会場の外で人目を憚ることなくFIAレースディレクターのチャーリー・ホワイティングと向かい合って議論を交わしていた。いや、それは議論と言うよりも可夢偉が一方的に詰め寄っていると表現した方が正しいほどの様子だった。

 可夢偉は身振り手振りを交えながら、路面の状況とドライビングの難しさを伝えていた。

 普段はブリーフィングの内容ですら何を話していたかすぐに忘れてしまうほど他人のことには興味のない可夢偉が、これだけ熱心に突っかかっていくとは、ただ事ではなかった。

「『誰がこんなクソアスファルトを作ったんや?』って言うてたんです」

 可夢偉は憤懣やるかたないといった表情で、語気を強めて言った。

 水曜日に下見を行なった際に、路面の気になっていた箇所がやはり問題だと感じていた。

「ビックリしますよ、明らかに作業ミスじゃない?っていうようなアスファルトがあるから。目が粗いところもあれば、コーナーのエイペックスで石が潰れてコンクリートみたいになってるところもあったりして。まずそこからオカシイんです」

 ドライバーズブリーフィングでも路面のグリップのなさと滑りやすさが議題となり、年長のペドロ・デ・ラ・ロサが中心となって一部のドライバーは部屋に残りホワイティングと議論を続けた。

 その議論が終わり全ドライバーが会場を後にしても、可夢偉だけは納得がいっていなかった。この日のポジションはトップ10。マシンの感触としては決して悪くはない。

 しかし、路面コンディションの悪さがどうしても気になった。

「ここはトルコとかと同じ舗装会社やから大丈夫やって言うんですけど、『見てみろよ、見た瞬間におかしいって分かるやろ』って。鈴鹿が新しい舗装にしたからって、滑るなんて聞いたことないでしょ? から『舗装の仕方を鈴鹿に聞けばええやんか?』って言うてたんです。みんな言うてましたよ、クソみたいな路面やとか、再舗装しろとかって」

 可夢偉は清掃車の運用についても提言をしていた。巨大なエンジンの送風機で埃やゴミを吹き飛ばすアメリカ式のコース清掃機は、せっかく路面に乗ったタイヤラバーが失われる原因となる。

 だが、その提案は受け容れられず、金曜の走行後にも土曜日の予選前にも、清掃機によるコース清掃が行なわれてしまった。

「このコース自体は走っていて楽しいレイアウトだと思うんですけど、残念ながら路面のコンディションがオイリーでグリップしないんで。あとまぁ、タイヤのコンパウンドも非常に堅くていつまで経っても(温まらずに)グリップしないんで。それだけが残念ですね」

 あのターン1も、やはりさほど難しくはないと可夢偉は言った。

「上り切った時点でキュッと平らになるんで、そこでリア(の荷重)が軽くなってオーバーステアっぽくなるんですけど、それをドライバーがどう感じ取るか(対応するか)っていうのはドライバー次第やと思うし。でもみんな同じ条件やし、あんまりそんなに大っきな問題だとは思いませんね」

 路面は滑りやすく、タイヤは温まりが悪くグリップしない。可夢偉いわく、「いかに温めるか勝負」。

 しかし、マシンのフィーリング自体はさほど悪いわけではなかった。

 土曜日の朝になっても、それはさほど変わらなかった。だが、ほとんどセットアップを変えずに臨んだ予選で可夢偉のザウバーC31は突然失速してしまった。

「理由はわからないんですけど、とにかくバカみたいに滑るから……。路面温度なのかなんなのか、分からないんですよ」

 急に路面が良くなり、通常のサーキットと変わらないような状態になった。滑りやすい路面を想定してセットアップしたタイヤは、そのコンディションには全くと言って良いほど合っていなかったのだ。

「路面が滑りやすい状態っていうのを想定して早く熱が入るように内圧とかブランケットの温度を高め高めに設定していたんですけど、予選になって普通に近いになったみたいで、路面温度も高くなったこともあって、それに対応しきれなくてオーバーヒートみたいな状態になったんです。グリップしないから『もっと温めないと』っていったらそれが悪循環になったような。ピレリの昨日のサマリーを見ても、僕らは高い方でしたからね」

 路面を滑って表面だけが高温になったタイヤは、芯まで温まらずにグリップが欠乏し、それによってスライド量だけが増えて余計に表面のオーバーヒートが加速する。

「そうなってしまうと、かなりクールダウンしないと戻って来ないんですよ。最初にバーンと温度が上がっちゃって、(新品タイヤの)美味しいところが使えないし。特にリアが厳しいですね。まぁ、全部遅いっすけどね、ああなっちゃうと。リアがグリップしなかったらどうしようもないっすよ。何をしてもダメです」

 予選の一番最初にピットインアウトを繰り返していたのも、そのためだった。新品のタイヤを1周だけ使って表面の”皮剥き”をしていたのだ。

 それをやれば症状が改善するという保証があるわけではない。しかし、そうでもやってみるしかなかった。

「レースに向けて、プライムタイヤの皮剥きをしてました。フェラーリがやってたのを見て、FP-3が終わってから僕らもやった方がええんかなって言うて。それくらい路面が滑る状態だったんです」

 ピレリのタイヤというのは、皮剥きをしてもあまり意味はないと言われていた。だからこうした作業をF1で見ることは少なくなっていたが、オースティンでは違っていた。予選の最初に多くの中団チームがピットストップを繰り返して皮剥き作業を行なったのだ。

 可夢偉はミディアムとハードという最も堅いスペックを持ち込んだピレリのタイヤ選択に不満だった。タイヤのせいでマシン性能、ドライバー能力を最大限に発揮することができない状態。それはまるで入門用カートのようだと可夢偉は思った。

「カートのSLタイヤっていう、3レースくらいずっと走れて長持ちするような入門用のタイヤがあるんですけど、まさにそんな感じです。SLタイヤって、冬とかだと練習の時に皮むきしないといけないんです。それくらいの状態で。

 グリップしないし、タレないし、摩耗もしないし。みんな簡単にここ(狭い適正範囲の中)にいるっていう状態ですね。誰が乗ってもそこそこ走れて、上手い人が乗ってもガーンと違う次元にはいかないっていう、まさにSLタイヤみたいな状態ですね。だから(ドライビングで)工夫のしようがないんですよ……」

 予選16位。Q3進出も可能だと思っていたのに、現実は過酷だった。

 

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 初開催のオースティンを、12万人の大観衆が埋め尽くした。ホームストレートでは華々しいグリッドセレモニーが行なわれ、大人数の音楽隊の演奏に合わせてチアリーダーたちが笑顔で踊る。

 快晴の空からは眩しい陽射しが降り注ぐが、不思議と風は涼しい。

 マシンをグリッドにつけた可夢偉は、コクピットを降りるなり4輪全てのタイヤの表面をチェックして廻った。可夢偉がタイヤの表面を確認するのは珍しいことではないが、この日はグローブを脱ぎ、タイヤの表面を撫でるように手のひら全体を押しつけていた。

 アウトラップとスタート練習の2周を走っただけの右フロントタイヤには、大きなブリスターができていた。

 可夢偉はレースエンジニアのフランチェスコ・ネンチと話し、すぐ隣のグリッドにいるチームメイトのセルジオ・ペレスのところへ歩み寄り、彼とそのレースエンジニアのマルコ・シューバッハ、そしてタイヤエンジニアのピエール・ヴァッシェを交えて急きょミーティングを行なった。もちろん、これも初めてのことだ。

 どの顔も表情は険しい。それが現実を物語っていた。

「ここでポイントを獲ることが大事やと思うし、レースペースは予選よりも良いはずなんで、16番っていうのは諦めるようなポジションでもないと思います。まずはしっかりスタートしてそこでどれだけポジションを上げられるかと、あとはレースの流れを見ながら、っていう感じだと思います」

 可夢偉はそう語っていたが、それさえも難しそうだった。

 スタートでイン側のグリッドはグリップレベルが低く、出遅れた。1周目を終えて、17位。4周目にはトロロッソに抜かれて18位に落ちた。

「タイヤに全然熱が入らないんだ、どうしたらいい!?」

 5周を過ぎてもタイヤはなお機能しようとはしてくれない。可夢偉が無線でそう訴えても、フランチェスコにもピエールにもどうすることもできなかった。

「カムイ、他に選択肢はないんだ。ここでタイヤ交換するわけにもいかない。タイヤにスイッチが入るよう、なんとかトライしてみてくれ」

 もちろん、可夢偉もそんなことは承知の上でやれることは全てやっている。それでも集団に着いていくのが精一杯で、前を伺う余裕などはない。

「カムイ、8位のディ・レスタまで8秒しか離れていないんだ。周りのみんなもタイヤには苦しんでいるから、君のペースも悪くない。プッシュし続けろ。タイヤに熱を入れて前とのギャップを縮めることだけを考えるんだ」

 フランチェスコから無線が飛ぶ。

 しかし前との差は徐々に開いていく。

「カムイ、BOXだ。ここでフロントウイングを調整して、プライムに換える」

 13周目、状況を打開するためにピットインして早々にタイヤを交換することに決めた。作動温度領域の低いハードタイヤの方が、まだウォームアップは楽なのだ。摩耗もデグラデーションも心配がないのなら、ダメなタイヤはさっさと換えてしまった方が良い。

 だが、ほぼ全員が1回しかピットストップを行なわないレースの中では、早めのピットストップが大きな違いを生み出すまでには至らなかった。

 可夢偉は最後までポイント圏外でフラストレーションの溜まるレースを強いられ続けた。

 結果は14位フィニッシュ。路面はほぼ通常のサーキットと同じレベルまでグリップが向上してきたが、この”SLタイヤ”ではどうしようもない。

 どれだけ頑張ろうとも、自分たちにはレースをすることすら許されない。

「全くグリップしないです!」

 コクピットを降りたばかりの可夢偉は、開口一番、語気を荒げて叫ぶようにそう言った。レーシングスーツ姿のまま歩きながら、可夢偉は頭を大きく前に振って、苛立ちを身体で表わした。

 本当は、スタート直前のグリッドでの鬼気迫る様子について聞いた答えだった。

「っていうことだけです、(グリッドで)喋ってたのは」

 それは質問に対する答えでもあったが、1時間半の間フラストレーションと戦い続けた可夢偉の心の叫びでもあった。

 いつも冷静な可夢偉にしては極めて珍しいことだ。それだけこのレースがレーシングドライバーにとって耐えがたいものだったということなのだろう。

「ゆっくりやったら走れるんですけど、とても攻めて走れる状態ではなくて。ダウンフォースがあれば楽に走れるっていうだけなんでしょうけど、とにかくタイヤがよく分かんないんです。単純に、タイヤがクソです。ピレリに言うてください、僕らに言われてもしょうがないし」

 たとえそれが何位争いであろうとも、100%の力を出し切って争い限界を打ち破ることでそれぞれの”勝利”を手に入れる。それこそがレーシングドライバーの本分。オースティンのレース週末には、それが無かった。

「苦しいレースになることは分かってたけど、何にもやりようがなかった……」

 悔しそうにそう言って、可夢偉はチームホスピタリティの奥に消えていった。その後ろ姿には、目の前のレースだけに全霊を注ぐドライバーの信念があった。

 オースティンの冷たい風は、それをあざ笑うように可夢偉の背中をかすめていった。

 それでもなお、可夢偉は前に向かって信念を貫いていくはずだ。

 いよいよ、長かったシーズンも最後の1戦を迎えようとしている。

 

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(text by Mineoki YONEYA / photo by Wri2, Sauber)

 

2012年11月21日発行

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