REPORT【報道】

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 砂漠に囲まれた白亜の大地には、真っ青な空から容赦なく太陽が照りつけていた。

 アブダビの陽射しは熱い。例年よりも熱く肌を灼き付けるように感じるのは、気のせいだろうか。前夜にドバイ国際空港へ降り立った時には気付かなかったが、インドGPの後の2日間を過ごしたバンコクなどよりもよほど、こちらの方が暑かった。

 アブダビは、デビュー2戦目にして初めてポイントを獲得した場所。あれがザウバーのシート獲得へと、そして一度は失われかけた可夢偉の人生が変わる大きな原動力になったことは間違いなかった。

「アブダビには良い思い出があるし、僕にとってはゲンの良いサーキットですね。もちろんあの時とはクルマも違うしアプローチの仕方も違うけど、過去2年のザウバーでのレースを振り返っても、今週末に向けてはポジティブな印象を持っていますね」

 木曜のFIA公式会見には、チャンピオン争いとは関係のない5人が召喚された。それは無言のうちに、来季のシートを話題にしろと促しているような面々だった。

 当然、可夢偉にもその質問が投じられる。

 可夢偉は司会者がその言葉を発すると同時にニヤリと笑い、他メンバーと同じように答えた。

「みんなと同じで、来年のシート獲得に向けて頑張らないといけない状況ではあるんですが、F1に残る自信はすごくありますよ。残り3戦に集中しないといけないけど、残りの空きシートはそんなに多くないし、かなり不透明な状況なんで、レースで結果を残すことだけじゃなく交渉にも力を入れていかないといけませんね。それが今のチームなのか他のチームなのかは分かりませんけど」

 トヨタの撤退が決定的となっていた2009年、可夢偉は突然与えられたたった2戦だけのチャンスで、今あるこの未来を掴み取った。今求められているのも、同じように僅かなチャンスを最大限の結果に変えることだ。

「もちろん、3年前と同じようにチャンスはあると思ってますよ。でも今年はちょっと違うフィーリングなんです。あの時はトヨタがF1から撤退するとは知らなかったし、翌年にトヨタで乗るために良い結果を出そうと頑張っただけでしたから。でも今年はもうそんなに空きシートがないし、結果を出すだけじゃなくてチームと交渉したりいろんなことをやらないといけないから。とにかく早く動かないといけませんからね」

 だが、可夢偉はF1残留の自信があると断言した。

 その自信の根拠を問われた可夢偉は、こう答えた。

「自信の根拠は、”フィーリング”です。上手く説明できれば良いんですけど、ただそれだけです(笑)」

 もちろん、裏側では言葉にできないいろんな動きがある。だからこそ、可夢偉は自信を断言できる。

 だが、それを差し置いても、可夢偉は自信を断言する男だろう。

 なぜなら、夢に向かって前に進むためには、自信が必要だと信じているからだ。

「女の子を落としに行く時、どうやって行きます? フィーリングでしょ? それと一緒ですよ(笑)。そこに理由はないでしょ? 僕はフィーリングで生きてるんで。『オレ、多分無理だよ〜』なんて言うてたら、誰も『アイツのためになんかやったろか』って思ってくれないでしょ?」

 その自信が、可夢偉の人生を前へと進めてきた。

 この世界に飛び込んだのも、F1のシートを獲得したのも、そしてこの3年間を生き抜いてきたのも。

 夢へと突き進む信念が、運命を手繰り寄せてきた。

 もっとも当の可夢偉は、アブダビにやってきたからといってあの3年前のことに思いを馳せたりはしないだろうが……。

 

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 空を見上げれば、数分おきに巨大な航空機が轟音を上げながら低空を飛んでいく。

 爽やかで煌びやかなヤス・ビセロイ・ホテルから望むヤスマリーナは、人工的に作られた港湾であって、実際にはこの島自体が海とは運河で繋がっているだけのものに過ぎない。アブダビ国際空港の至近に位置していることからも分かる通り、街からは外れた広大な土地を開発したのがこのヤス島だ。

 周囲はほとんどが砂漠であり、砂の微粒子が飛来してアスファルトの隙間に入り込む。それゆえに、週末最初のグリップレベルは低く、下位集団の走行によって路面の改善を待つことになる。

 金曜午前、インストレーションチェック走行を終えた可夢偉は、マシンを降りてガレージの奥でメカニックたちと笑いに包まれていた。

 工具箱の中から取りだした書類ファイル。マシン整備に関する重要な書類が入っているそのファイルを開くと、そこにはガレージの外で可夢偉にインタビューをしようと待っていたイギリスの女性レポーターのセクシーな写真が挟み込まれていたのだ。

 それをおもむろに手に取った可夢偉は、マイクを向けようとする彼女に向かって「これにサインして!」とその写真を差し出し、驚きの表情をして逃げていく彼女を見て悪戯っ子のような笑顔を見せる。その写真を知っているガレージ内も、爆笑に包まれる。

 鈴鹿の表彰台以来、ザウバーは苦しいレースが続いている。マシンのペース自体は悪くないのだが、それが結果に結びつかない。

 インドGP直後にはニコ・ヒュルケンベルグとの契約が発表され、可夢偉の来季が不透明になっていることもチームメンバーたちは承知のはずだ。

 しかし、彼らはそんなことはおくびにも出さず、可夢偉もまた明るく、今まで通りに振る舞う。そこに閉塞感や停滞感はなかった。

 このアブダビでも、可夢偉のマシンはなかなか思うような走りを見せてはくれなかった。マシンが不安定な状況では、可夢偉らしい思い切ったドライビングは難しい。

「正直なところ、あんまり良いバランスが見つかってなくて、クルマはあんまり良くないですね。それさえ直せれば、1秒くらい上げられるクルマになると思うんですけど、いろいろやってるんですけど、なかなか上手くいかなくて、今のところ見つかってないんで」

 何が問題かと言われても、問題がありすぎて答えようがなかった。

「え〜っと……全部ですね(苦笑)。オーバーステアもあるんですけど、アンダーもあるっていう。まぁ、良いところなしなんですよ、単純に(苦笑)」

 アンダーステア傾向で、曲がりづらい。しかしブレーキングしてターンインしようとすると、リアがロックして不安定に也、突然オーバーステアになる。それを解決するためには、ダウンフォースが必要だった。だが、低速コーナーばかりが連続するこのヤスマリーナ・サーキットのセクター3には、C31の特性は合っていない。

「バランス云々っていうよりも、単純にグリップしないから。200km/hくらいのところではダウンフォースがあるんですけど、100km/h以下になるとビックリするくらいダウンフォースがないクルマなんで。

 ダウンフォースがないっていうのが一番の原因やって分かってるんですけど、どうしようもないっていう(苦笑)。その中でいかにクルマを合わせ込むかっていうのをいろいろやってはみたんですけど、なかなかそれが見つからなかったですね。(金曜の)出だしから外しまくって外しまくって、外しまくってたから……ホンマ、エグいですよ」

 1週間前のインドと同じように、苦しい予選。

 曲がらないクルマを、あとは自分で曲げてなんとかするしかない状態。

 なんとかQ1は突破し、Q2では最後の望みを賭けたアタックへ。セクター1では自己ベストを更新していたが、バックストレートエンドでブレーキを激しくロックさせてしまった。

「バナナの皮が落ちてたとでも思っといてください(苦笑)。まぁ、いろいろあるんですよ、それには。レッドブルみたいにリアでクルマを止められたら余裕なんですけどね、それができないから困るんですよね……」

 可夢偉はそう言葉を濁したが、実際にはタイヤ内圧の調整が上手くいっていなかったがために起きたロックアップだった。可夢偉にとってみれば、バナナの皮を踏んだくらい唐突に起きたロックアップだったということだろう。

 抜きにくいサーキットに、1ストップ作戦が可能なタイヤ。

 追い抜きが難しい上に戦略の幅が少ないのでは、15番グリッドからのスタートでは、上位浮上は難しそうだった。

「明日は1ストップ以外ないでしょう? 0.5ストップとかないんですかね? ピットレーンスルーして『一応ピット入ったやん』みたいな(笑)」

 可夢偉はそう言って苦笑いする。

「タイヤがこれだけ保って、1ストップ作戦しかないと、タイヤの善し悪しは関係ないですね。どのタイミングで入ってどんだけクリア(な場所を)とるかの問題だけであって、タイヤはそんなに重要じゃないって感じですね」

 だが、トロロッソに捕まって抜けずに終わった1週間前のようなレースにするつもりはなかった。

 金曜の時点でそのことは折り込み済みで、夜までにギアレシオを決定して申告する際に、7速をロング目のギアにしておいたのだ。そうすれば最高速は伸びる。2本のバックストレートのいずれもがDRSゾーンに設定されているこのサーキットなら、その効果も大きくなる。

「レースペースの優位はあると思います。レースでは戦えるクルマやと思うし、ここはDRSゾーンも2箇所あるんで、抜くことも前回よりは簡単なんじゃないかと思うし」

 どっぷりと暮れたヤスマリーナのパドックで、可夢偉は言った。

 マリーナに所狭しと並ぶクルーザーの上では、陽気なクラブミュージックが鳴り響いていたが、可夢偉にはそれを楽しむ余裕はなかった。

 

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 最終コーナーの方から差し込む夕陽に背を向けて、可夢偉はフィジオセラピストのヨーゼフと向かい合った。そこにモニシャがやって来て、ヨーゼフの言葉に3人は笑顔に包まれる。

 いつものように、可夢偉を笑わせようと周りが盛り立てる。リラックスしていけば良い、すでに実力は充分なのだから。その力をありのままに出すだけで良い。モニシャはいつもそう言ってきた。

 スタート加速は順調にいき、ターン1へ。イン側に進路を取った可夢偉は、前方で起きた多重事故をするりとすり抜けて、気付けば8番手で1周目を終えていた。

 奇しくも自身が語っていた通り、クリアな場所で走るチャンスを得ることになった。

 だが、異変はすぐにやってきた。

「ダウンシフトしている時にクラッチが滑ったままになったりして、そのせいでブレーキバランスが(不安定に)変わったりして、ブレーキング時の挙動がすごくおかしくなりました。かなりツラかったです。KERSのチャージもおかしかったからKERSが使えない時もあったし、タイム的にも結構大きかったと思うんですけど」

 事実、可夢偉のペースは明らかに伸び悩み、後方にいたチームメイトを先に行かせるようチームから指示が飛んだ。

 ドライビングは困難を極め、ギアボックスの冷却油温も上昇し、マシンはもう限界寸前だった。

 だが、またしても可夢偉に幸運が訪れた。

 8周目にニコ・ロズベルグがHRTに追突し宙を舞う事故が発生し、その事故処理のためにセーフティカーが導入されたのだ。

 レースエンジニアのフランチェスコは、すかさず可夢偉に6速、7速だけを使って走ることを指示し、ギアボックス内部の回転数を抑えることで油温低下を促した。さらにマシンを労るための電子的なセットアップ変更を可夢偉に指示した。

「ブレーキバランスやKERSチャージの設定、それからクーリングも一生懸命やって。エンジニアと無線で上手くコミュニケーションをとって、なんとかステアリングに付いてるボタンと運転だけで最大限カバーして、ギリギリでレースを走り切ることができました。

 あの時が一番ピークやったから、最初のセーフティカーがなかったら止まるしかなかったような状態でしたからね。そういう意味では運が良かったと言えますね」

 レースが再開されても、可夢偉のペースは完調とは行かなかった。エンジンブレーキを使わず、クラッチへの負担を減らすこと。KERSがフルに使えない上に、可夢偉にはマシンにストレスのかからないドライビングが要求された。それはスロットルのオンオフを使った繊細な前後の荷重移動によるステアリングコントロールができず、全てをブレーキペダルの操作によって行なわなければならないということを意味していた。

 それでも後ろから迫り来るミハエル・シューマッハは押さえ込み、9番手のポジションは守る。

 そして再び、可夢偉に幸運が巡って来た。

 ターン11の攻防からセルジオ・ペレスが発端となって4台が絡む多重事故が起き、目の前の4台が姿を消したのだ。

「あれは若干ビックリしましたね(笑)。みんな外にいるんかなと思ったら、結構コースの真ん中くらいまで帰ってきてて、ちょっと驚きながら避けたんですけど、まぁあれも運が良かったですね」

 セーフティカー導入によって前方との差は縮まったが、後方との差もまた縮まった。フェラーリに、メルセデスAMGに、ウイリアムズにと、手強い相手を向こうに回して、手負いのマシンで押さえきらねばならない。

 だが、可夢偉は落ち着いていた。

 リスタートから数周はタイヤのウォームアップに苦しむフェラーリを、その間に引き離した。レース終盤のために、タイヤを温存していたのも功を奏した。

「タイヤを温存してた部分もあったし、あそこで引き離せたのが大きかったと思いますね」

 可夢偉は55周を走り切り、6位でチェッカーを受けた。

 鈴鹿以来のポイント獲得は、チームにとってもランキング5位を目指す上で大きな前進となった。

 マシンを降りた可夢偉は珍しく疲れた表情を見せたが、その反面、自身の走りに得た満足感は大きかった。

「そうですね(苦笑)。ブレーキバランスも動く(変わる)し、それもコーナーごとに変わるし。かなりスイッチのセッティングもやらされたし、その中でも『ブレーキを頑張れ』とかワケの分からんこと言われるし(苦笑)。結構厳しいレースでしたよ。でもエンジニアにとっても厳しかったと思うし、この結果が得られて満足度は大きいですね」

 苦しみの中で訪れたいくつもの幸運によって、可夢偉は6位を手に入れた。

 だがその幸運は、ただで手に入れたものではない。決して諦めず前に進む努力をしてきたらからこそ、手に入れることができた幸運だ。

 運命は、あらかじめ用意されているものなのかもしれない。

 だがそれは、その運命を掴み取る努力をした者にしか与えられない。

 ならば運命とは、自らの力で切り拓くものと言えなくはないか。

 鈴鹿の表彰台に上った時、可夢偉は言った。これは運命なのだと。それは、運命を掴み取る努力をしてきた者だからこそ言えた言葉だ。

 だからこそ、可夢偉は「自信」を口にできる。その強さは、アブダビの陽射しをも上回る。

 残り2戦。可夢偉の夢に向けた挑戦は、どんな結末を迎えるのか。そこに用意されているのがどんな未来であろうと、可夢偉は突き進んでいくだろう。自分を信じて、どこまでも。

 

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 (text by Mineoki YONEYA / photo by Wri2, Sauber)

 

2012年11月7日発行

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