REPORT【報道】

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 カメラに向かった可夢偉の顔が、オレンジ色の夕陽に染まっていた。

 ナイトレースのシンガポールGPは、いつもよりも6時間遅れのスケジュールで行なわれる。走行セッション以外のあらゆる分刻みのスケジュールが、6時間遅れのヨーロッパ時間のままスケジュール表に記されている。

「シンガポールはまずポイントを獲って、鈴鹿に向けて良い流れで行けるようにっていうのを理想としてるんですけど。アップデートとまではいかないけど新パーツも入るんで、それが上手く機能すれば戦える位置にいると思ってるんで、今年は自信を持ってアプローチしたいなと思ってます」

 ザウバーのマシンがこのシンガポールの市街地サーキットに合っていないことは分かっている。しかし、持ち込まれたアップデートがもたらすダウンフォース量があれば、ポイント争いくらいはできるかもしれない。

 可夢偉はそんなささやかな期待を持ってシンガポールにやって来た。

 この街は嫌いではない。いやむしろ、派手好きの可夢偉にとっては大好きなロケーションだ。

 しかし、走ることが本分のドライバーたちにとって、その喧噪を楽しむ余裕はない。

 朝方に眠りにつき、昼過ぎに起きてパドックに向かう。夕陽が照らす頃に、1日がスタートする。

「来る途中でモールの中で吉野家を食べていこうと思ってたんですよ。そしたらまさかのペーターとモニシャに会って、一緒に歩いて行くハメになって、食べに行けなくて(笑)。あそこのモールは良いですよね、いろんな誘惑があって。でも『ここで食べていくわ』って言うたら怒られそうやから(笑)。サーキットに着いたら何かあるやろと思ってたのに、何もないし。お腹空いてたまんないですよ、気ぃ失いそうやわ(笑)。キツいでしょ?」

 高級ホテルが建ち並ぶマリーナベイから、ショッピングモールを通ってパドックへ。

 そんな誘惑に目を向けられるのも、木曜日までだ。金曜になって走行セッションが始まれば、可夢偉に許されるのは白飯と野菜中心のヘルシーな食事のみ。

 日本の有名なチェーン店もたくさんあると聞かされても、可夢偉にとっては後の祭りだ。

「豚カツかぁ、そんなん行ったって食われへんし。僕、キャベツばっかり食べてんとあかんわ(苦笑)。夜はもうお店閉まってるから、食われへんし。せっかくメシが美味しいところに来てんのに。シンガポールはえぇ街なんやけどね……」

 そうはいっても、可夢偉の頭の中はすでに鈴鹿に向けた思いが渦巻いている。このシンガポールの週末も、鈴鹿のために使いたい。つい、口をついてその思いが出る。

「鈴鹿に向けて良い状態で自信を持っていけるようにしたい。良い流れを持っていきたいし、流れをここで作りたいですね」

 ここまで、不運が多すぎた。そのことは、誰よりも可夢偉自身が痛いほど分かっている。

 それを鈴鹿で克服するためには、何が必要なのか? このシンガポールで、最後に何を乗り越えておくべきなのか?

 自問自答しても、その答えが存在しないことは分かっている。運は努力で手に入るものではない。

「僕が速いとこいくと、なんかできないんですよね、完璧な週末っていうのが。あれ以上どうしろっていうんですか? だから、なんも考えてないっす。思いっきりやったろうと思って。シンガポールで『思いっきりやったろ!』思て。んで、鈴鹿でも『思いっきりやったろ!』思て(笑)。いいんですよ、それで。

 もちろん、ちゃんと正確にやらないといけないけど、何を狙ったら8位になるとか9位になるとか、わかんないですもん。こないだだって、アイツ(セルジオ・ペレス)『モンツァはあかんなぁ』って言うてたのが突然2位に行くんですよ。何を想像したらいいのか分かんないですよ、世の中。だから、『思いっきりいったろ!』思って」

 冗談めかして言ったが、それが可夢偉の偽らざる本心だった。

 努力はして当然。その上で運に恵まれるか否かは、自分の力でどうすることもできるものではない。

 ならば、自身は全力を尽くすのみ。

 可夢偉はそう思っていた。

 

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 午後4時を前に、シンガポールは豪雨に見舞われていた。

 熱帯のこの地域でスコールは珍しいことではないが、こんな時間帯の雨は滅多にない。

 おかげでサポートレースは混乱に陥り、激しくクラッシュしたフェラーリ458がセーフティバリアを壊し、GP2のセッションもウエットコンディションのまま行なわれることになった。

 そして午後6時。まだ路面が完全に乾き切らないうちに、300万ワットの人工照明の下で、いよいよF1のセッションが始まる。

 可夢偉が乗り込んだC31のフロアには、小さな気流センサーが取り付けられていた。その前方に位置する排気管、そこに新たなパーツが投入されたからだ。

 だが、可夢偉の表情は渋い。

「アップデートがどうとかいう前に、クルマが決まらなくて、ものすごい”どオーバー”で(苦笑)。結構いろいろやってたんですけど、それでも対応できないくらいのオーバーだったんで、どうしようかなっていう感じで。

 走り始めた瞬間から”どオーバー”で、セッティングもリアを一番柔らかくしても一番固くしても”ど・オーバー”っていう、どうしようもない状態ですね。これ以上何をしたらいいんかっていうところに来てるんで、予想以上に厳しそうですね」

 夜のうちに金曜のデータを分析してセットアップを施してみても、土曜になっても状況は何も変わらなかった。

 FP-3の最後にホッケンハイム仕様のセットアップを引っ張り出し、多少の改善が見られたことで、そのまま予選に臨むことになった。信じられないような妥協案だった。

「バタバタやったし、完全に方向が分からなくなってて。FP-3の最初のセットアップがダメで、最後に『ホッケンハイムのセットアップや!』っていうて『なんでここで使うかなぁ』と思いながらトライしたら『悪くないじゃん!』なんて、誰が想像します?

 良いと思ってたクルマ(FP-3最初)が全然ダメで、良いはずないと思ってたの(ホッケンセット)が良かったんで、僕らが思ってる以上にどうしようもないんだなということが分かったんで、予選に向けては何も触らなかったんですよ。結局、みんな何が何なのか分かってないっていう状態で。それでもまだ”ど・オーバー”やし、とても攻められるような状態じゃなかったんですけどね」

 ブレーキングすれば、リアが不安定になって4輪ドリフト状態。コーナリングすれば、横方向に滑っていく。

 だから、タイヤの表面だけが摩擦熱でオーバーヒートする。タイヤの芯まで温まらず、本来のグリップが引き出せない。

 それはハンガロリンクで悩まされたのと同じ、リアのダウンフォースが抜けるという症状のせいだった。

 あの時は原因が究明出来ていなかったが、どうやらその元凶は路面のバンプにあったようだ。バンピーなサーキットで発生することから、それが明らかになってきた。

 おそらくは、バンプによるリアサスペンションのストローク、そしてフロアと路面、リアサスペンションの位置関係の変化。それによって、マシンのリアエンドへと抜けていく気流が劇的に変化する。そのせいで、リアのダウンフォースが抜けているのではないか。チームはそう結論づけた。

 今季の初め、どのチームよりも早く導入したこの排気管方式は、ザウバーに一定のパフォーマンスを与えた。

 そしてさらに進化したシンガポール仕様の排気管は、より高いパフォーマンスをもたらすポテンシャルを秘めていると同時に、それを果たすウィンドウは極めて狭いものとなっていたのだ。

 シンガポールのバンピーな路面では、マシンの走行状態がその狭いウインドウに入りきらなかった。

「問題点は分かってるんですけど、どうしたらいいかは分からないですね。ハンガリーの問題と同じで、あの時よりもさらにひどくリアのダウンフォースが抜けてるんです。鈴鹿では全く問題ないはずですけど、ここではウサギみたいにクルマが跳ねて、オンボードの映像を見ても可哀相なくらいですよ。(揺れすぎて)前が見えないんですよ」

 可夢偉はそう言って苦笑いする。

 頭を抱えて悩んでも仕方がない。笑い飛ばす以外、方法はないのだ。

「早くボケるんやろなって思うもん、この仕事してて。あんなに脳味噌が動いてて。絶対そうでしょ!? 最近ちょっとボケてきるんもそうなんかな?(笑) さっきもオンボードの映像を見ながら『ほら、見て! こんなに頭が動いてんねんぞ、5年後にはボケてるかもよ?』って言うてたくらいですから」

 そのまま迎えた予選でも、奇跡は起こらなかった。

 Q1敗退は、チームでも予想していたことだった。そのくらい、この週末のザウバーは本来の性能を発揮できずに苦しんでいた。

「1台はQ1で落ちて、もう1台も頑張っても16〜7番っていうのは分かってたんです。だから予選でそんなにガンガン行ってもしょうがないし、それよりも決勝に新品のタイヤを残すことの方を優先して。こうやってレースのウインドウを広げて、タイヤを上手く使って1ポイントでも獲れたらラッキー、くらいに思ってます」

 逆に言えば、ポイント獲得さえも簡単ではない。そんな中で、シーズン中で最も身体的に厳しいレースに臨まなくてはならない。曲がりくねった市街地サーキットで305kmを走ると、そのレース時間は2時間にもなる。

「自分のクルマが速くて『やったるぞ〜!』っていうモチベーションなら良いんですけど、ラッキーを期待するしかないっていうテンションで行くのは厳しいですね(苦笑)。僕は観客みたいなもんですよ。シンガポールのレースは面白いから、明日はクルマの外から見たいですね(苦笑)。こんな”ど・オーバー”のわけわからんクルマで走るのはイヤですよ(笑)。初めて予選中に自分で『あかん!』って思いましたもん。

 明日どれくらい走るんですか? 2時間も走るんですか? (ステアリングに)映画つけとってくれへんかな?(笑)」

 そう言いたくなるくらい、どうしようもなく絶望的な週末だった。

 

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 時計の針は、もう夜の10時を回っている。

 パルクフェルメにマシンを停め、コクピットを降りた可夢偉にニコ・ヒュルケンベルグが歩み寄ってきた。

「悪かった、オーバーステアでどうすることもできなかったんだ」

 ほとんど終わりかけたタイヤでレッドブルのマシンを抑えきっていた50周目、4輪をライン外にはみ出させながら強引に前に出たマーク・ウェバーに続くようにして割って入ったヒュルケンベルグのマシンが、可夢偉のフロントウイングを壊す。

 これで可夢偉に僅かながらでも残されていた入賞の望みは完全に消え去った。

「僕は行き場所がなくて隅に追いやられてて(苦笑)。突然向こうがオーバーステアだったみたいで当たってきて、それでフロントウイングがなくなったんですけど、どっちにしてもポイントを獲るのは厳しかったと思うんで、まぁしょうがないですね」

 スタート加速の鈍さ、1コーナーでブレーキをロックさせたケータハムの強引な割り込みがなければ、レース序盤にケータハムやマルシアのペースに付き合わされることはなかった。

 二度に渡るセーフティカーの出動がなければ、レース終盤に燃費が苦しいマシンがペースを落としたはずだった。そして、多くのマシンが3回ストップでなければ走り切れず、可夢偉の2ストップ作戦も機能した可能性があった。

 だが、全てはタラレバだ。

 可夢偉は苦しい展開になっていくばかりの2時間に、耐え抜いた。

 ヘルメットを脱いだ顔は上気し、頭も汗でじっとりと湿っている。

「シンガポールは最高の元気づけになるレースになりましたね(苦笑)。あまりにもフラストレーションが溜まるどころか、最後の花火に感動しましたよ。レースのことは全然話すことないですよ、花火が綺麗やったなっていうくらいで(笑)。4発くらい見えましたよ。汗で目をこすりながら、『綺麗やな〜』って(笑)」

 レースを終えた可夢偉は、同じように暑さに耐え続けていた2時間を終えて冷えたビールで一息つくチームスタッフ全員と握手を交わした。彼らも苦しみは同じだ。

 そしてモニシャの姿を見つけると、おどけたように頭を振るジェスチャーをして、「こんなに頭が揺さぶられた」と苦笑いした。

「このモヤモヤを鈴鹿で爆発させられるように、気合い入れてやっていきたいなと思います。鈴鹿は今年の残りのレースの中でも僕らのクルマに一番合うと思うんで、あそこでなんとか結果を残したいなと思います。

 でもね、さっきモニシャには『気合いは入れるな』って言われました(笑)。気合いを入れるとロクなことがないから、『気を抜いていけ』って(笑)」

 可夢偉の頭の中は、もうすっかり鈴鹿モードに切り替わっている。

「鈴鹿では上手くいけば本当に勝てるくらいのクルマかもしれないんで、マジで真剣に予選トップ3を狙って、あとは流す感じで」

 あとは流れのまま、表彰台を。今の可夢偉にとって、鈴鹿で表彰台に上るのは当たり前のことだ。このマシンにはそれだけのポテンシャルがあり、可夢偉自身にもそれだけの速さがある。

 シンガポールで露見した作動ウインドウの狭さは、裏を返せば、そのスイートスポットに入った時の驚異的な速さを意味する。そして、再舗装されて路面がスムーズになった鈴鹿こそが、そのウインドウに入る場所なのだ。

 これまでに表彰台に上っていないのが不思議なくらい。何度もそのチャンスを、自分のせいではなく自分ではどうすることもできない要因によって阻まれてきた。

 可夢偉自身がそのことを誰よりも痛感し、苦しみ、悩んできた。そのことを、ここにきて可夢偉はようやく、少しだけ垣間見せた。

「ホントに鈴鹿で初の表彰台とかやったら、ヤバいですよ。感動ですよ、僕も泣くと思います。まだ表彰台に乗れてないのがダサいっていうか、それくらい、ここまで奇跡的なくらい不運続きですからね(苦笑)。鈴鹿で表彰台に乗れたら、『このためにここまで苦労させられたんやな』って思うやろから」

 シンガポールの街には夜の帳が降り、街は新しい1週間の始まりに向けて短い眠りにつこうとしている。

 どんなに長い夜も、やがては朝が来る。

 東の空に昇る日の出を、早めることはできない。我々にできるのは、ただ夜明けを待つことのみだ。

「さっ、シンガポールはなかったことにしましょ。今週は観光しに来たっていうくらいの感じで(笑)。鈴鹿の周りの焼き肉屋さんに、ジャンジャン焼き……いま考えただけでヨダレが出そうやわ(笑)」

 可夢偉はそう言って笑った。

 ついに迎える鈴鹿の地で、長い闇が終わることを祈って。

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(text by Mineoki YONEYA / photo by Wri2, Sauber)

 

2012年9月27日発行

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