REPORT【報道】

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「ソファでも持ってきましょうか?」

 グリッドでずっとコンクリートウォールにもたれかかってアスファルトに座っている可夢偉のところに、CEOのモニシャ・カルテンボーンがやって来て言った。

 このジョークに、可夢偉もモニシャも大きな笑顔を見せ、スタート前の緊張感が漂うその場が少しだけ和んだ。

 空からは太陽の陽射しが降り注ぎ、可夢偉は大きなパラソルを路面に置いて、その日陰の中で座っている。モニシャは可夢偉と同じように座り込んで、パラソルの中で可夢偉と言葉を交わす。

「リラックスして、自信を持っていけばいいのよ」

 可夢偉の実力は、誰よりもよく分かっている。信頼も寄せている。焦りや苛立ちに左右されずに、冷静にそれを発揮するだけでいい。モニシャは常々、可夢偉にそう言ってきた。

 ザウバーの中でも可夢偉の最も良き理解者であるモニシャが可夢偉のグリッドを訪れるのは珍しいことではない。しかし、今回は少し特別な意味があった。

 可夢偉の周りでは、チームクルーたちが緊張した面持ちで前方を気にしている。レースエンジニアのフランチェスコ・ネンチたちが手書きの紙を持って可夢偉のもとを訪れ、何やら相談し合ってはまた散っていく。

 ホッケンハイムのグリッドは、彼らにとって特別だった。

 

「50回目なんですか? じゃあ50回目を記念して良いレースをしたいと思います(笑)」

 レース週末の幕開けを前に、テレビカメラに向かって可夢偉は言った。

 明らかに、テレビ向けのリップサービス。それが素直にできるほど、可夢偉は大人ではない。ホントはそんなこと思ってませんけど、という表情で、敢えて棒読みの口調で答えるところが可夢偉らしい。

 2009年のブラジルGPで急きょF1デビューを果たしてから、50戦目のグランプリ。

 もちろん自分自身も気付いていないわけではなかったが、可夢偉にとってはたいしたことではなく、それにこんなところで終わるつもりもない。

「意外と短かったですね。もう50戦いったんや!? でも、たった50戦ですね。まぁ、あんまり気にしてないですけどね」

 カメラが止まってから、可夢偉はそう本音を言った。

 だが、ここでなんとか流れを変えたいという気持ちは本心だ。

 不運なレースが続いている。チームの判断ミスで失ったものは数知れない。そして、2週間前のイギリスでは、自身もミスを犯してしまった。

 あのピットストップのミスは攻めるがゆえのミスだった。本来ならば必要のないプッシュの末のミスだった。

 だが、可夢偉はその攻めの姿勢を守りに変えようとは思っていない。

「してはいけないミスやけど、ミスはしなきゃいいだけですからね。レースなんて、どこまで攻めればいいか分からない世界ですからね。単純に1ポイント、2ポイントを獲りに行くんやったらリスクを冒す必要はないけど、もっと上、例えば5番とかを戦いに行くっていうときには守りに入る理由はないんじゃないかっていうのが僕の考え方やから」

 マシンに速さがあり、実際に結果も手にしている今季は、チームとしても昨年までのような中団争いで満足はしていられない。

「今までやったら1ポイントや2ポイントでチームにもハッピーって言ってくれてたけど、今はそんな状況じゃないですからね。チームの要求は高くなってるから」

 来季に向けたシート争いも表面化し、チームメイトに比べて数字という目に見える結果が劣っている可夢偉には、シート喪失の危機かという記事も見られるようになってきた。

 もちろんそれは周囲のドライバーが他チームとの交渉を有利に進めるための駆け引き材料としてリークしているものに過ぎず、逆に言えばザウバーが彼らの本命ではないことを示しているのだが、可夢偉自身としても来季に向けた交渉をする上で好ましい状況とは言い難い。

 上位勢が動向を決めると言われている夏までに、しっかりと結果を出して有利に話し合いができるような条件を整えておかなければならない。

「いま結果を出すしかないでしょ? それしかないから。(チーム内では自分の仕事を理解してくれているが)そこはドライやから、目に見えて分かる結果だけで行くしかないですよ。そんなん、いちいち他のチームに説明しに行くわけにもいかないでしょ? F1なんやから、しょうがないですよ」

 今回はポイントが欲しいかと聞くと、可夢偉は冗談めかして言った。

「獲らないとヤバいでしょ、ホンマ。攻めますよ。めちゃめちゃ攻めますよ! 夏休みに入るまでのこの2戦が大事ですね。そこでドライに行ける結果を出して……そのままドライフルーツにならないようにします(笑)」

 そこまで言って、自分のジョークが上手く伝わっていないことに気付いた可夢偉が、恥ずかしそうに説明する。

「ドライフルーツ想像してくださいよ、(首をかしげて)『カピッ』ってなってるじゃないですか! そうなりたくないなぁ、みたいな」

 首をかしげながら、「これ、『滑らない話』でできるかなぁ?」と苦笑いする。

 シルバーストンのピットレーンで”滑った”可夢偉は、ホッケンの木曜日にも”滑って”しまった。

「さぁ、これでもう大丈夫ですよ!(笑)」

 予想外に涼しいホッケンハイムの、そんな週末の始まりだった。

 

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 雨の予報が出ていた土曜の朝は、晴れ間も見える空の下で今週初めての本格的なドライ走行のセッションとなった。

 前日のフリー走行は降ってはやむ雨に翻弄され、充分なタイヤテストはできていない。可夢偉は原因不明のダウンフォース不足と強烈なオーバーステアに苦しんでいた。

「ハンドルを切らなくてもコーナーを曲がれるくらい、ド・オーバーで。チームメイトよりもずっとアンダーに作ってるんですけどね」

 その原因は後に、DRSの不具合でフラップが開き、リアのダウンフォースが失われていたためと判明した。

 FP-3のセッションが進むうちに空には徐々に黒い雲が広がり、終了まで10分ということ路で小雨が落ち始めた。そしてその雨脚は、数分のうちに信じられないほどの土砂降りに変わった。

 その雨はランチタイムのうちに上がった。しかし午後の予選が始まる時点ですでに、FIAのレーダーモニター上には30分後に再び雨が降り始めるであろうことが表示されていた。

 ミディアムタイヤを履いてアタックに出た可夢偉は、予想以上に自分たちのペースが良いことに気付いた。可夢偉のようにソフトタイヤを投入することなくQ1を通過できたのは、上位勢を含めても僅かなドライバーだけでしかなかったのだ。

 Q2の開始まで2分を切ったところで、ホッケンハイムの路面に雨粒が落ちてきた。予報よりも5分ほど早い降雨。これを見て各チームのガレージは、先を争うようにマシンをまだレッドシグナルが点灯しているピットレーン出口へと送り出す。

 コース上ではどんどん水量の増えていく。となれば、1秒でも早くアタックをした方が有利になるのだから。

 その時、ザウバーのピットガレージは混乱していた。

 マシンは2台ともにまだガレージ内に止まっている。インターミディエイト・タイヤは装着されているが、給油口には給油ホースがつながれたままだ。

 この時2台のマシンの燃料タンクには、通常のドライでのアタックを想定した3周分の燃料しか充填されていなかった。走り続けて好コンディションを探すというのがウエットセッションの定石であるがゆえに、15分間のセッションを走り続けるために必要なさらに6周分の燃料を急きょ追加していたのだ。

「3周分しかなくてもいいから、僕らも並ぼう!」

 可夢偉はフランチェスコに言った。

 だがフランチェスコはこういう時にいつもの優柔不断な悪い癖が出てしまった。

「それじゃ少ないんじゃないか?」

「それでもいいから。それよりも早くコースインした方がいいから」

 可夢偉にそう言われて、フランチェスコはメカニックに給油の中止を指示したが、異例の指示に今度はメカニックが戸惑い、結局は給油の完了を待つことになってしまった。

 ようやくコースインを果たした時には、すでにグリーンライトから1分以上が経過してしまっていた。

「ガソリンを給油していて、メカニックがホースを抜かなくてコースイン出来なかったという、ちょっと笑える話なんですけど……。インターを履かせた時点で入れとけば良いのにね」

 もちろん、可夢偉は笑っていない。

 前戦に続いて、またしても好調だったはずの予選でチームの運営ミスが露呈した。

 そして、晴れが予想される決勝に向けてドライ寄りのセッティングを施している可夢偉のマシンでは、ウエットコンディションで好タイムを出すことは難しかった。

「乾いた状態の時は良いんですけど、濡れているとリアタイヤが温まらなくて。温まらないまま終わっちゃいました。ライのままならQ3に行けるかなぁと思ってたんですけど、あそこまでインターミディエイトが遅いとは思ってなかった」

 再三に渡るオペレーションミスに、可夢偉も憤懣やるかたない。

 もちろん、フランチェスコ1人を責めているわけではなく、チームとしての統率系統の矛盾が歯痒いのだ。可夢偉が言ったように、9位や10位を争うのなら多少のロスも許される。しかし、上位勢と真っ向から戦いもっと上を奪い取るためには、僅かなロスも許されないのだから。

「全てのコールが遅すぎるんです。今日はクルマが遅かったからしょうがない、って言われてもねぇ……」

 予選後のミーティングで、可夢偉はチームメンバーに向かって言った。

「今回は僕の好きなようにやらせてくれ」

 これまではチームとしての利益を第一に考え、チームとしてそれぞれのドライバーに用意した戦略を受け容れ、チームプレーに徹してきた。しかしそれが可夢偉にとって裏目に出たことは幾度もあった。

 しかし、12番グリッドからのスタートならば、ギャンブル的な戦略でいって失敗したとしても、失うものはさほど大きくはない。

 そして、チームとしても度重なる判断ミスの責任は重々承知している。

 果たして、可夢偉の懇願は受け容れられた。

 

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 日曜朝の戦略ミーティングが終わり、ザウバーのモーターホームはランチタイムを迎える。

 前日までとは打って変わり、ホッケンハイムの空は晴天に恵まれた。ガラス張りの壁面に白の幌を張ったモーターホームの屋内も、明るい陽光に照らされる。この週末始まって以来、初めての晴れの一日になりそうだった。

 可夢偉のマネージャーを務める有松義紀が食事を摂っていると、フランチェスコがやって来て言った。

「ヨシ、ちょっと手伝ってくれないか?」

 可夢偉とフランチェスコは、決勝に向けて1つの作戦を練り上げていた。

 レースペースが伸び悩み隊列に蓋をするフォースインディアとは違う方のタイヤを履いてレースに臨む。彼らを確実にオーバーテイクし、自分たちのレースをするために。

 そのためにはグリッドで彼らのタイヤを”偵察”しなければならず、そのための人手はいくらあっても足りなかった。その点、技術的な知識も豊富な有松なら、格好の助っ人になるというわけだ。トヨタ時代からの盟友であるフランチェスコは、そのことをよく知っていた。

 こうして有松は、普段は滅多に足を運ばないレース直前のグリッドに出向くことになった。

「直前までどっちのタイヤで行くか全然決まってなくて、彼の反対のタイヤで行こうっていうのが今回の僕の作戦だったんです。あっちを見てからね。僕らの方が速いのは分かってたけど、まともに勝負したら抜くのは大変なんで、アドバンテージを持った状態で抜きにいけるようにね。結構大変でしたよ」

 可夢偉はそう言う。

 9番グリッドにいるポール・ディ・レスタのタイヤは、タイヤウォーマーに包まれていて視認することはできない。ラックに積まれた3セットのうち、管理番号もマーキングされていない1セットは除外できたが、残りの2セットがどのスペックで、クルーがどちらをマシンに装着するのかは、グリッドクリアの直前まで分からない。

 スタート1分前のシグナル音までに、メカニックはタイヤを装着してグリッドを離れなければならない。可夢偉のグリッドでは、じりじりとした時間が過ぎていく。

 ラック上のタイヤに書かれた管理番号を確認し、彼らのタイヤ管理方法からそれがどちらのスペックであるかを推測する。そして、クルーが一方のタイヤの内圧だけをしきりにチェックしていることを視認する。その報告は、逐一フランチェスコのもとにもたらされる。

 そしてグリッドクリアの直前に、フォースインディアのクルーがソフトタイヤを手に取ったのを確認し、ザウバーのクルーたちは可夢偉にミディアムタイヤを履かせた。

 モニシャは日曜の朝に、フランチェスコを呼び寄せて向かい合って座らせた。

「何を迷っているの? 決断が必要なんです。素早い決断です。あなたが失敗したって、誰もあなたを責めたりしません。だから自信を持ってやりなさい」

 いつもは首脳陣の顔色も窺わなければならないフランチェスコが、今日は完全に自由にやれる。その緊張を解きほぐすように、そしてなおかつ叱咤鼓舞するように、モニシャは言い聞かせたていた。そのことが、フランチェスコに良い影響を与えていたのかもしれない。

 決勝が始まり、可夢偉とフランチェスコの戦略は思惑通りにはまった。

 第1スティントを長く引っ張り、遅めのピットストップの後でライバルよりも新しいタイヤでその利を生かして追い抜く。

 ディ・レスタ、マーク・ウェバー、ニコ・ヒュルケンベルグ。

 DRSを使い、KERSを使い、ブレーキングとライン取りを巧みに使い、可夢偉は次々と料理していった。それは秀でた可夢偉のオーバーテイク技能があったからこそ、実現した戦略でもあった。

 バレンシアのクラッシュといいシルバーストンのミスといい、焦りから攻めすぎた面があったことを可夢偉は認めていた。

 それでもなお、ここホッケンハイムでも攻めの姿勢は変えないと言った。ただし、そこに必要な冷静さは、今回はきちんと維持し続けた。

「クルマのバランスは良かったし、タイヤも保ちましたね。プッシュしてタイヤを壊すわけにもいかなかったんで、タイヤをセーブしながら走ってたし、まだ行けそうな感じでしたね。誰が後ろに来ても大丈夫なように、前のクルマがスピンでもしたら戦えるようにしておこうっていうのもありましたし。スタートポジションさえ前だったらレース展開は変わってたと思うし、もっと楽にレースができてたと思います」

 7つもポジションを上げて5位でフィニッシュした可夢偉に、モニシャが満面の笑顔で待っていましたとばかりに声を掛ける。

「カムイ、ヨクヤッタ!」

 日本語を教わり、この言葉を使う瞬間を待ちわびていたのだとモニシャは言った。「シッカリシロ!」、そう言って不振の間も温かく見守り、励まし続けてくれた彼女の存在は、大きかった。

 レース後に上位のペナルティで順位が繰り上がり、自己最高の4位となるおまけまで付いた。

「ホンマに? やりましたね、意外なところから(苦笑)」

 だが、最高位かどうかは可夢偉にとってどうでもいいことだった。

 今本当に必要なのは、それではない。この数戦の苦労で痛感させられた、トップチームと真っ向勝負をするための経験値。その必要なものが、ようやく手に入り始めた。

 チーム一丸となって乗り越えたことが、何よりも大きい。

「クルマもペースも、自分たちにやれることはやって、それはできてると思うし、僕らのチーム規模を考えればよくやってると思います。もちろん良い悪いはあるし、他のチームに比べれば経験不足なところもあるけど、それもひとつひとつの積み重ねですからね。これからまだシーズン半分ありますから、これからどう巻き返せるか楽しみですね」

 雨に翻弄され続けた週末だったが、終わらない雨はない。可夢偉の視線の先には、この週末で一番の鮮やかな青空が広がっていた。だが、目指すべきブルースカイは、まだ先にある。

「表彰台だけは長いなぁ。あと1コやねんけどなぁ……」

 産みの苦しみはようやく峠を越えた。ここから先は下るのみ。

 ”あと1コ”への道を行く可夢偉の歩みは、自ずとその速度を増していくに違いない。 

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(text by Mineoki YONEYA / photo by Wri2, Sauber)

 

2012年7月24日発行

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