【アプレゲールですいません。】2007年ホンダの思い出
お部屋の掃除をしていたら、ひょっこりこんなものが出てきました。2007年アースカラーのホンダF1のピンバッジ。某青山方面では黒歴史として封印されているやつです(笑)。
でもこの2007年のホンダRA107、僕は結構好きなんです。
確かに結果は全然ダメダメだったけど、そこにはスピリットがあったんです。前年途中に中本修平さんがジェフ・ウィリスを追い出してシニアテクニカルディレクターに就任し、チームの保守的な雰囲気を徹底的に排除して自由闊達にアイディアを出し合える環境を作り、意欲的なマシン作りをしたのがこの2007年。中途半端に「失敗しない」線を狙うのではなく、「失敗するかもしれないけど思いっきり攻める!」という、ホンダらしいマシン作りがようやくできたシーズンだったわけです。
あまりに空力性能を追い求めてしまったがゆえに、マシン挙動が不安定で速く走れなかったのが不振の直接の原因でした。でも、その根底にあったチャレンジスピリットは素晴らしかったと僕は思うんです。
アースカラーという奇抜なカラーリングになってしまったがゆえに、その不振が余計に迷走というイメージになってしまい、随分損をしたような気もします。あんなカラーリングになってしまったのは、これといったスポンサーを集められなかったブラックリーのチーム側(HRF1)が苦肉の策でやったことで、これまた技術的な体制や青山本社の責任ではなかったんですけどね……。
当時、中本さんは「F1は人殺しのない戦争だ!」と口癖のように言っていました。今だとそのまま書かせてもらえるかどうか媒体によっては微妙なレベルの言い回しですが(苦笑)、そのくらいの気合いで戦っていたんですね。とにかく、人に勝つためには何でもやる、負けたら悔しくてしょうがない、という気合いに満ちていました。
それも、いろんな内部抗争があったせいでたった1年で終わってしまい、2008年はとっても中途半端なかたちのマシンになってしまいましたが、撤退後の2009年のVブラウンGPとしての活躍はご存じの通りです。エンジンがメルセデスAMGに変わって40馬力もパワーアップしたから勝てたんだという話もありますが、栃木研究所には今でも2009年用に開発が進められていたエンジンがあって、それはかなりの性能が出ていたそうです。内部では1戦だけでもいいから走らせたいという声もあったのだとか。
今の第4期ホンダにはホンダスピリットが感じられないという声もありますが、第3期のホンダもそんな批判を受けながらもチームの中には必死で戦っていた人たちもいたんです。そう、第4期だってそのはずです。
(text and photo by 米家 峰起)
この記事へのコメントはありません。