REPORT【報道】
【第1回】2013年5月16日、無知すぎたマクラーレンとの提携【短期集中連載・ホンダ第4期】
その発表は突然行なわれた。翌年からのF1パワーユニット規定導入まで僅か半年というタイミングで、東京青山のホンダ本社にマクラーレンのマーティン・ウィトマーシュ(当時マクラーレン・グループCEO)が訪れての発表だった。
それから僅か1年7カ月後のアブダビで、ポストシーズン合同テストにマクラーレンとホンダは『MP4-29H 1X1』というテスト車両を持ち込んだが、トラブル続きでパワーユニットのシステムを起動することすら容易ではなく、ERS系は全てオフにした1.6Lターボエンジンのみで走行したものの、それでも2日間でコースインできたのは5回のみで、そのたびにトラブルが起きてピットインやコース上でのストップを余儀なくされてコントロールラインを通過することは叶わず、合計5周に終わった。
その悲惨な状態から僅か2カ月後のヘレス合同テスト、そして3回のテストを経て1カ月半後の開幕戦オーストラリアGPでは、ERSまで含めたフルシステムで走れるのが奇跡と言えるレベルだった。
第4期のスタートで躓いた最大の原因は、参戦を急ぎすぎたことだった。
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こういう記事って、積み重ねてきたものを持った人たちにしか書けないと思っているので、ホンダに限らず他のことも読みたいです。
過去データ引っ張り出してきたり、まとめたりと大変だと思いますが。。
ホンダだから全部頭に入っていて細かい事実確認だけで書けるというのがあるので、他のこととなると大変ですね。。。(汗)
YouTubeやフジテレビネクストも楽しく拝見していますが、やっぱり活字のキレのある米家さんも好きです。福井前社長が研究所出身でかつ「レース好き」であれば、戦えるかどうか?を事前に確認することに少しは理解がある気もしたのですが、どうしてこうなってしまったのでしょうか。。。
「きっかけ」だけでなく、その後の陣頭指揮も執ってくださっていたら、第3期立ち上げの成功・失敗の経験ももう少し生かされたかもしれませんね。BARとの間にもあれこれありましたから。。。